ブラックアウト




 空気ばかりか体を真ん中から裂くような、花火なんかより鋭い音が響いて。







 直後、ふっと電気が消えた。







 現在時刻、夜十時半前後。
 当然のことながら、明るさに慣れた視界もブラックアウト。



「え? うそっ」
「停電かよ‥‥‥‥」
「やばっパソコン!!! データ大丈夫ですかね!!?」
「どーだろな」



 とりあえずあんまり忙しくないのは、同じフロアの他編集部も一緒らしくて。
 残っているのは、会議の後書類整理をしていたエメラルド編集長と、その鬼に出された明日期限の課題が終わらず焦っている俺、
 以上二名のみ。
 すなわち、この非常事態に見舞われたのも、俺たち二人ということになる。






 なんでよりによって高野さんと俺だけの時に――――――ッ!!!







「‥‥‥‥つかねーな」
「そうですね‥‥‥‥‥‥」







 沈黙。
 あぁ、やばい。
 暗い。



 何も見えない。



「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥た、高野、さん?」
「なんだよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥い、います、よね?」
「は? 当たり前だろ」
「で、ですよね‥‥‥‥‥‥」
「何、怖いの?」







 ぎくっ。







「な゛っちっ違いますよ!! ただ俺、鳥目でっ」
「鳥目?」

「‥‥‥‥‥‥く、暗くて、全然見えないんですよ‥‥‥‥‥」







 ここだけじゃなくもちろん隣のビルも街灯も光が消えて、文字通り真っ暗。
 でも多分、普通の人ならそろそろ暗闇に慣れて、ものの輪郭くらい捉えられてるだろう。
 ただ残念なことに俺は鳥目で。
 目の前に手をかざしても全く見えない。
 本当は明かり用に携帯とか探したいけど、今日に限って飲みかけのコーヒーを机の上に置きっぱなしで、
 零したら洒落にならないから下手に動けない。

 な、なんかすごい不安‥‥‥‥‥‥
 電気ってすごいんだな。











 ガタン、











「‥‥‥‥‥‥‥‥え?」







 俺の右側、ちょうど編集長席のあたりで、物音がした。
 見てもわかんない、けど。

 椅子から立ち上がったような。



「た、高野さん?」
「いるって」
「何してんですか? ブレーカーとか見に行くんですか?」
「いや無理だろ」



 一刻も早く復旧して欲しい俺は、むしろなんとかして来いくらいの勢いで言うけど、一蹴されてしまった。
 まあ落雷のせいなわけだし、この辺一体停電してるってことは、
 ブレーカーよりもっと根本の部分が駄目になってるってことだもんな‥‥‥‥‥。行ったところで意味ないか。

 落ち込んでたら、ふと靴音がゆっくり近づいてきていることに気付いた。



「‥‥‥‥‥‥高野さん?」
「なに」



 声、かなり近い。



「え、どうしたんですか、てかどこにいるんですか?」
「‥‥‥‥‥お前ホントに見えてないんだな」
「は、」















 ちゅ。















 唇に、既に慣れてしまった感触。















「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥この会社、セクハラ対策室みたいなのありましたよね。内線何番でしたっけ」
「恋人同士のいちゃつきは相手にされねーよ」
「俺とあんたは付き合ってない!!! 決して、断じて付き合ってない!!!」
「んなもん既成事実。それに過去もあるしな?」
「あれはただの若気の至りです、今は何があっても有り得ません!!!」
「説得力なさすぎだろ。それに聞き込み調査的なことされても、
 木佐とか美濃あたりが『いつもラブラブしてますよ〜』とか言いそうじゃね?」







 ‥‥‥‥‥‥‥‥あぁ、あの二人すごい言いそう。
 そしてそれを聞いた羽鳥さんは肯定こそしないものの、否定もしなさそう。
 味方が居ないことを思い知って脱力。
 しかし俺の上司は、傷心の俺を気遣ってくれるようなお人柄じゃないわけで。


 更に行動が突拍子もない。















「うわっ!?」















 ぐいっ、何かに引っ張られて。

 ぽすっ、何かにぶつかって。

 すとん、その場に座り込んだ。



 何度も言うけど、今の俺は全盲にも等しいわけで、視覚からの情報が全くない。
 でも、聴覚やら触覚やらから察するに。



















 俺は現在、エメラルド編集長高野政宗に抱きしめられているらしい。



















「何しやがるこの変態セクハラ魔ーーーーー!!!」
「誰が変態だ。つか下手に暴れたら机の上のコーヒー倒れて、問答無用でパソコンがお陀仏だぞ」
「ぐっ‥‥‥‥‥」





 か、勝てない。
 くそぅむかつく!!!
 なんでこの人こんな口上手くなってんだよ!!!
 しかも背中に腕が回ってるだけじゃなく、
 体勢的に俺の脚の間に高野さんの体が割って入って、なんか有り得ない密着度なんだけど!!?


 その上。







「〜〜〜〜〜〜っっ」
「暴れんなって‥‥‥‥‥」











 すんごい勢いで顔中キスされてるんですが‥‥‥‥‥‥‥!!!!!!!











「たかのさ‥‥‥‥‥っっ、ふ、ふざけんなっ、」
「別にいいだろ。最近あんま触ってなかったしな」
「ちょっ、やめ!!!」



 勘弁してくれ。
 額やら頬やらキスされる度リップ音が異様に響くんだ。
 俺たち以外誰もいなくて、電気が落ちて、恐ろしいくらいに静かだから、微かなはずの音までもいちいち耳に届く。
 腕を突っ張ってもほとんど意味はなく、パソコンを人質に取られて抵抗らしい抵抗も出来ず。
 結果、されるまま。

 ああああ無理無理無理無理、誰か助けてくれ後生だから!!!!







「ひっ、」







 成り行きでつむっていた瞼にもキスされる。
 薄い皮膚に唇の感触がリアルすぎる。
 ひくり、思わず肩を揺らすと、くすくす笑うのが聞こえた。



「お前、こういう時は昔と変わらねーよな。かわい」
「な、そんなこと言って‥‥‥‥!!! 昔は全然そんな素振りも見せなかったくせに!!!」
「素振りくらい見せただろ、お前が鈍いだけで。まあ言ってなかったのは事実だけど。
 つか思春期真っ只中の高校生が、可愛いとか普通言わねーだろ。いくら恋人相手でも」



 恋人‥‥‥‥‥。

 あの頃の俺たちが「恋人」だったとこの人に言われると、ものすごく妙な気持ちになる。
 とりあえず今更感が半端ない。



「‥‥‥‥‥‥あの‥‥‥‥‥」
「どうした」
「それこそすごい今更なんですけど、なんで俺はあんたに抱きしめられてるんですか」
「ホントに今更だな」



 しょうがないだろ、俺にとってはまだ決着がついてない疑問なんだから。
 そしたら、今度は上唇を食まれた。
 もちろん盛大に文句を言ってやろうとした、けど。



















「こうしてりゃ、俺が近くにいるってわかって、暗くても怖くねーだろ?」



















 ‥‥‥‥‥‥‥‥なんだよ。
 意地悪いなら意地悪くだけしてろよ。
 なんでそうやって、たまにやさしいんだよ。
 むかつく。悔しい。







 俺はあんたなんか、嫌いなのに。















 どうしてそんな大事そうに、俺のこと抱きしめるんだよ。















「お前さ、やっぱ家来いよ」
「はあ?」
「夜盲症ってことはビタミンA不足なんだよ。まともなもん食ってないからそんななんだろ。餌付けしてやる」
「‥‥‥‥‥そこまではっきり言われるといっそ清々しいですよ」
「だろ?」
「いやいやいや行きませんから!!!」
「隣に引っ越すくらい苦じゃねーだろ。それともあれか? せっかくだから新居のがいいとか?」
「お一人で南極にでも越してください。誰も引き留めませんから」







 何も見えない真っ暗闇の中、ぽんぽんと続く馬鹿馬鹿しい会話に、俺はつい安心してしまって。
 俺を強く抱きしめてくれる体温に、いつしかもたれかかってしまっていた。



 何も見えなくてよかった。
 話の内容はともかく、この人の声音からして、今すごく、やさしい顔してるんだろうから。

 そんなの見たら、



 きっと今の俺じゃ、





















 ようやく電気が戻ったのは、それから一時間ほど経ってから。
 いきなり明るくなって目がちかちかする中、大慌てでパソコンの安否を確認する俺に、高野さんが一言。











「もしデータとかご臨終でも、明日の期限延ばさないからな」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」











 社内泊決定。







 やっぱり鬼だ、こんなやつ好きになんかなるか!!!!















 心臓がこんな強く撥ねるのは、ただ、暗くて怖かった余韻を引きずってるだけ。















 絶対に、それだけなんだ。