好きになっちゃダメ。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「にゃ〜」
こんなに気まずいの、生まれて初めてかもしれません。
とりあえず、先に高野さんの家に来たのは俺だった。
別に横暴上司の顔が見たかったとか襲われに来たとかそういうんじゃもちろんなくて、ネームの直しを確認してもらうために。
で、それが半分くらい終わった頃、高野さんに作家さんから何やら緊急らしい電話がかかってきて、
彼は気を使ってくれたのか寝室に引っ込んでしまって。
あろうことかその直後、横澤さんが猫を預けに来た。
そして結果的に、リビングには俺、横澤さん、ソラ太の二人+一匹という構図になっております。
この気まずさったら半端じゃない。
何せ高野さんはつい先日、横澤さんに「俺は小野寺が好きだからお前とは付き合えない」ってはっきりきっぱり言ったらしくて。
俺はその後、横澤さんを見かけてなくて。
まさかまさか、よりによって高野さん宅で二人きりになるとは、夢にも思わなかった。
いや、ネームあるし、俺がここにいるのは仕事だってわかってはいるだろうけど‥‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
俺はこの痛い沈黙をどうすればいいんでしょうか。
横澤さんは俺に見向きもしないでソラ太と遊んでるから、このまま高野さんが戻ってくるまでスルーでいいのか‥‥‥‥?
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥お前、ネコ嫌いなのか?」
「えっ?」
正直飛び上がりそうになった。
まさか、横澤さんから話しかけてくるなんて、思ってなかったから。
「な、なんでですか?」
「コイツいても見もしねぇから。つか、なんか避けてるし」
ああ、はい。
さっきソラ太がこっち来た時、全力でびくってしましたけど。
「いや、嫌いじゃないですけど‥‥‥‥‥俺、動物にあんまり好かれなくて‥‥‥‥」
「苦手なだけだろ」
「‥‥‥‥‥‥触りたい気持ちはあるんですが、駄目なんですよね。
特にソラ太には子猫の時引っかかれたトラウマがあって、もう手出せないんです」
「え?」
横澤さんがソラ太にばかり向けていた視線を上げる。
俺は何か地雷でも踏んだかと焦った。
「えっ? な、なんですか?」
「‥‥‥‥お前、コイツが小さかった時のこと知ってんのか?」
「あー‥‥‥‥はい、高野さんがソラ太を拾ったとこ、見てましたし‥‥‥‥」
高校の時。
先輩の家に上げてもらうようになってから、俺はソラ太に慣れる努力をした。
いつも家にいるし、先輩がすごく大事にしてるから、俺も仲良くなりたくて。
でもやっぱり怖くて、先輩も協力しようとしてくれたけど、威嚇されるわ毛は逆立てられるわ、挙げ句の果てに引っかかれるわで‥‥‥
それ以来、俺が完全に近づけなくなったから、先輩は俺を家に呼ぶとソラ太を捕まえているようになった。
部屋にも入れないようにしてくれて、ちょっとソラ太に申し訳なかったのを、朧気に覚えてる。
そんな昔話を、横澤さんは当のソラ太と戯れながら聞いていた。
あの頃に比べたら、見違えるくらい大きくなったよな。
「‥‥‥‥‥‥そうか」
「はい?」
「俺はお前なんかより、政宗と長くいたし、全部知ってると思ってた。けど、‥‥‥‥‥‥
高校の時のあいつも、子猫の時のコイツも、俺は知らないんだよな」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あれ?
俺にとって横澤さんは、いつだって嫉妬の対象だった。
俺の知らない高野さんの十年間に、この人は深く深く関わっている。
一番近くにいた、っていうのは、多分事実だと思う。
自分が悪いんだってわかってる。
そんなこと思うならあの時、勝手な勘違いで逃げないで、先輩の話をちゃんと聞いていればよかったんだ。
それをせず、一方的に関係を断ったのは俺。
だから嫉妬する資格なんかないのは、わかってる‥‥‥‥んだけど。
でも高野さんが横澤さんに気を許してるのを見ると、怒りと悲しみが押し寄せて、悔しくて泣きたくなる。
なのに。
この人は、今。
「なあ、ソラ太。お前の今の主は俺だからな、俺の言うことよーく聞けよ」
「にゃぁん」
「絶対、あいつにだけは懐くな」
ソラ太を抱き上げた横澤さんは、ちらっと俺を見て。
「政宗だけじゃなくてお前まであいつに奪られるなんて、有り得ねぇからな」
この人の知らない高野さんを知ってる俺に、
高野さんに選ばれた俺に、
嫉妬、してるんだ。
ちょうどその時、寝室のドアが開く。
「悪かったな小野寺‥‥‥‥って、横澤?」
「よお。ソラ太預けに来た」
「また出張か。忙しないな営業は」
「そういう職業なんだよ。頼むぞ」
「わかった」
抱っこする人が変わっても、ソラ太は大人しくしている。
その顎をくすぐる高野さんに、横澤さんが何かを差し出した。
それを見て、俺は驚くことになる。
「ほら。鍵」
「サンキュ。じゃあこれ」
「ああ」
二人が鍵を交換する。
これってどういうことだろう。
横澤さんはとっくに、この家の鍵を持ってるんじゃなかったか?
実際今さっきも、それを使ってここに入ってきたんだろうし‥‥‥‥。
ということは、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥どういうこと?
「じゃあな。明後日また、そいつ受け取りに来る」
「一旦会社出て来るんだろ?」
「ああ。お前んとこの状況みて、鍵借りるなりするから」
「了解」
軽く手を振って、俺にはもう一瞥もくれず、横澤さんはさっさと出て行った。
俺は事態を飲み込めないまま、高野さんの持っている鍵に目をやる。
見覚えのある、このマンションの鍵。
この家の―――――――――合鍵?
俺の視線に気付いたのか、高野さんは直しかけのネームを前にして座る俺の隣に、腰を下ろした。
さりげなくソラ太を玩具の方へ移動させてくれながら。
「気になる?」
「な、何がですか」
「うちの合鍵」
ちゃり、と、俺の目の前にそれをぶら下げる。
持ち主のいなくなったそれを。
「なあ律。好きって言って」
「はっはあああ!!? い、言うわけないでしょ!! ていうかなんですか突然っ」
「俺のこと好きって言ってくれたら、これやる」
「なっ‥‥‥‥‥‥‥‥」
甘い笑みで、その人は俺をそそのかす。
「一名様限定だからさ」
「い、いりませんし言いません」
「俺はもうあげる相手決めてんだよ」
だから言って、って。
横暴にも程があるだろ。
でも、この人が真っ直ぐに俺を求めてるのは、いっそ切なくなるくらいに伝わってくる。
「律」
「っちょ、ネーム直し、まだ途中‥‥‥‥‥!! たか、んんっ」
とろけそうなキスに太刀打ちできるわけもない。
有無を言わさず押し倒され、指を絡め取られ、床に押さえつけられる右手。
重なり合ったその掌に、冷たく、固い感触。
ほしい。
いらない。
ぜんぶほしい。
なにもかも、
高野さんは、合鍵ごと握りしめた俺の右手を離さずに、空いたもう一方の手でゆっくりと俺の体を暴いていく。
往生際も悪く、気持ちがぐちゃぐちゃで泣くばかりの俺に、
穏やかなキスと、二度目が出てこないその言葉を、数え切れないほど落としながら。
ソラ太が、まるで主の代わりとでもいうのように、影を重ねる俺たちをじっと見つめていた。