今俺、どんなしてんのかな




「あれ、嵯峨?」
「おー」



 中高一貫校。
 その分、かなりの数の人間が、ここにはいる。
 すれ違うヤツが知り合いである確率は、もともと交友関係の狭い俺はないに等しい。
 でももちろんゼロではなくて。
 書架から気になった本を引っ張り出している時、声を掛けてきたのは、中学の時のクラスメートだった。


「すっげぇ久しぶりだな。てか高校上がってから会うのって初めてじゃね?」
「かもな」
「つかお前、未だに入り浸ってんだなー図書館。飽きねぇの?」
「飽きるほど本少なくねーから」
「そんなだから女の子と長続きしねぇんだろ」
「お前に言われたくないんだけど」
「えー何、その反撃予想外だし。今は一年付き合ってる彼女いるから!」


 こいつとは、俺の基準ではそこそこ仲良かった方だ。
 それでも普段の俺なら、さっさと話を切り上げてたと思う。
 なのに、少し付き合ってやろうと思ったのは、まあ少し下心みたいなのがあって。
 もちろんこいつに対してじゃないけど。

「大学もう決めたのか?」
「まぁな。お前と違って頭悪ぃから、そんなに選択肢ねぇんだよ」
「ふーん」
「いやいや、そこは否定してくれるとこだろ」
「なんで」
「‥‥‥‥‥もういいですよ。じゃな、俺彼女と約束あるから」
「ああ」

 本を持っていない方の手を軽く振り、俺は踵を返す。
 向かうのは、鞄を置いてあるいつもの席。
 律が座る席の、斜め前。
 戻ってきたことに気付いたらしく、そいつは一瞬、本から目を上げた。



「‥‥‥‥‥‥いいの、ありました?」
「ああ」



 俺はもうこの学校に五年以上いるから、図書室の本はかなり読み込んでる。
 面白そうなのは漁り尽くしたっていうのが実際のところだ。
 だから前読んだのを読み返しながら、新刊が来るのを待ってるような状況。
 まあ最近は、律のおすすめを読んでみたりしてる。
 結構好みは被ってるけど、背表紙じゃ興味を持てなかった本とか勧められて、それが意外と一生ものだったりする。
 今は自力で新しいの見つけたけど。



「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」



 椅子に腰を下ろして。
 本を開く前に、少し、待った。
 でも律は俺を見ない。
 何も言わない。

 本当は、無反応だったらそこまでにするつもりだった。
 だけどどうしても、気になって。



「‥‥‥‥‥‥律」
「、はい」



 本を支える細い指に力がこもったのがわかる。
 声を掛けられると思ってなかったらしい。
 まあ俺も、かけるつもりなかったんだけど。















「お前さ、ホントに俺のこと好きなわけ?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥なっ」
「なんでなんも言わねーの」















 さっと律が青ざめる。

 わかってる。
 わかってるんだよ、お前が俺を好きってことくらい。

 わかってるけど。



「俺さっき、一個下の女に呼び出されたけど。あれ告白だから」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ッ」



 何も思ってないわけじゃないんだろ?
 あの時、ほとんど知らない女に付いてく俺を見送る目は、すごく悲しそうで。
 戻ってきてからも、なんか挙動不審で。
 今喋ってたのはただの元クラスメートだけど、なんとなく律の視線は感じてた。
 それでも、面と向かって何か聞いてくるような気配はない。















 お前には、その権利があるのに。















「律」







 律はいつの間にか本から手を離し、じっと俯いていた。
 膝の上で拳を作ってるんだろう。
 ぱらぱらと、風がページを捲っていく。
 ふわふわと、律の髪が揺れる。











「‥‥‥‥‥‥‥‥先輩」
「うん」
「告白、なんて返事したんですか」
「断った。当たり前だろ」











 あっちの「ずっと前から見てました」的な言い分を全部聞いてから、俺は付き合ってるヤツがいることを告げた。
 こういう時どうするのが一番いいのか、俺にはわからない。
 呼ばれた時点で断るべきか、告白を途中で遮っていいのかとか、俺なりに多少は気も使う。
 使うけど、いずれにしろ返事は同じだ。
 俺には律がいる。



「さっきの男の人は、誰ですか」
「中学の時のクラスメート」
「友達なんですか」
「どーだろうな」
「話してて、楽しかったですか」
「普通」
「俺といるより、楽しかったんじゃないですか」
「それはない」



 それなら、と。


 律は俺を見ないまま、涙声で続ける。



























「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥どこにも、いかないでください‥‥‥‥‥‥‥‥」



























 俺たちは学年も違うし、本当に放課後のこの時間しか会えない。
 律は家族と住んでるから、毎日俺ん家に泊まるのは不可能だ。
 連れ込んだとしても、ほんの数時間、猶予が伸びるだけ。



 俺たちの共有できる時間は、限りなく短い。
 それを更に縮めようなんていっそ死活問題だ。
 しかもそれが人間関係絡みなら、そこに恋愛があろうがなかろうが、俺なら耐えられない。



















 それは自分も同じだって、律は今言ってくれてる。



















 俺は結局本を開かないまま立ち上がった。
 律がいつも遠慮して座らない、俺の定位置である一番隅の窓際の、真正面。




 律の隣。




 そこに律の方を向いて改めて腰を下ろし、俺は小さく嗚咽を上げるそいつを抱き寄せた。
 俺の胸に顔を押しつけるようにすると、びく、と肩が縮こまる。







「ちょ‥‥‥‥‥嵯峨、先輩」
「ん」
「ここ、図書室‥‥‥‥っ」
「そうだな」







 関係あるか。
 律が俺を押しやろうとするから、俺は腕に力を込めた。



 図書室は元々あんまり音がしない場所だけど、この静けさからして誰もいなさそうだ。
 いや、いたって構わない。
 むしろいればいい。
 律は後ろ姿だし、どこの誰かまでわかるヤツはあんまいないだろう。
 でも俺は完全に顔を晒してる。

 見つかればいい。クラスメートでも知り合いでも、なんでもいいから。
 俺にはこいつがいるって、みんなわかればいい。
 相手が男だってばれたって痛くもかゆくもない。
 俺がこいつに惚れてるのは事実だから。





























 別に、こいつ以外、いらない。





























「律」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥は、ぃ」
「顔、見せて」
「やです‥‥‥‥‥」







 珍しく律が抵抗する。
 なんで、って聞くと、だって泣いてるから、と蚊の鳴くような返事。
 それだけかよ。
 俺は無視して律の顎を掬い上げた。



 瞬きすると頬を伝い落ちる、透明な水滴。
 ぐすぐす啜ってる鼻の頭が赤くなってる。
 つい、ふっと噴き出すと、律は顔を真っ赤にして拗ねるようにそっぽを向く。
 でも。



「律‥‥‥‥」



 呼んでやれば、ほら。
 渋々ながら、俺の方を見てくれる。


 俺はポーカーフェイスとか無表情とか愛想がないとか、好意敵意は定かじゃないがよく言われる。
 それは俺が自分でそうしてるからだ。

 でも律は、長年のストーカー行為の賜物なのか、俺の感情を読めるらしい。
 全部自分の中に押し込めようとしてたのに、先輩なんか辛そうだから、と自分の方が辛そうに言ってきたり。
 欲しかった本を手に入れた翌日、いいことあったんですか? って聞いてくる自分の方が嬉しそうだったり。
 伝染。いや、律は人の感情を受け取りやすいのかもしれない。
 俺のことをこんなにもわかってくれるくらいだから。



 大きな目が軽く瞠られる。
 俺、そんなに変な表情になってるんだろうか。
 多少自覚はあるけれど。







「律」







 頬を撫でると、律は恥ずかしそうに一瞬目を伏せる。
 でもまた、視線が合った。















 まだ少し潤んだ瞳に映るのは、俺だけ。















 俺はそれに吸い込まれるようにして、唇を寄せた。