Every Day








「え、高野さんと律っちゃんって兄弟なの!?」







 飲み会の席。
 二人ってなんか仲いいよね、と言い出したのは木佐。
 いろいろ距離が近いよね、と相槌を打つ美濃。
 昔からの知り合いみたいだよな、と羽鳥。

 隠すつもりもおおっぴらにするつもりもなかったけど、気付かれてたらしい。
 まあ滲み出る雰囲気があったとしても不思議はないか。
 十年も一緒にいるんだしな。











 律は新卒で自分の父親の会社に就職したけど、七光りって蔑まれたり疎まれたりいろいろあって、三年目には転職を決意していた。
 真っ先に丸川書店が候補に上がったのは、多分俺が働いてるからっていうだけだろう。
 といっても、もちろん俺の下で働きたかったわけじゃない。ここでも文芸やって前の会社のヤツらを見返したいと意気込んでいたから。

 ところが蓋を開けてみれば、配属はなんの因果かエメラルド編集部。

 初日、ふて腐れながら自己紹介する律を盛大に笑い飛ばしてやったことは記憶に新しい。というか、律は未だに根に持ってるらしい。
 それからはまあなんだかんだとぶつかってる。
 俺もあいつもかなりの頑固者だから、怒鳴り合いに近くなることもしばしばだ。
 あっちは少女漫画の編集なんて初心者だし、八割方経験者の意見に折れてるか。
 でも一割は、丸呑みは絶対しないけど多少反映する。少女漫画に先入観がないからこその斬新なものがあったから。
 あとの一割は‥‥‥‥‥お互い譲らなくて、最終的には俺の地位で断行。そして律がまた怒る。


 仕事場ではそんな感じだけど、もちろんプライベートで仲が悪いとか、そんなことはなかった。
 お互い社会人になってから、家は名義上お隣さんだ。
 ‥‥‥‥‥律が相も変わらず家事全般まるっきりダメだったり、それ以前にやっぱ近くにいて欲しいのもあって、半同棲状態だけど。




 そんなわけもあって、俺たちが「親しい間柄」なのは事実。
 俺たちが兄弟と知ってさすがに驚く三人に、律はジョッキ片手に頷いてみせた。







「義兄弟ですけどね。しかも正式には高校時代の一年足らずでした」
「あっという間だったよな」
「ホントに。こないだ結婚したばっかりだったのにまた離婚するって聞いた時は驚きましたよ」
「そうか? 俺は予想通りだったけどな。むしろよくもったなって感じ」







 そんなやりとりをする俺たちに、部下が興味津々の眼差しを向けてくる。







「じゃあもしかして、小野寺くんは高野さんを『お兄ちゃん』って呼んでた時期があるの?」
「ああはい、ありますよ」
「えっマジでーーー!!! ちょっと言ってみ!!?」

「『お兄ちゃん』」







 恐らく木佐は、律が赤くなったり抵抗したりすることを期待してたんだろう。
 羽鳥がさりげなく近くにあるジョッキを遠ざけるくらい、思いっきり机から身を乗り出してるしな。
 でも残念ながら律はあっさりとその単語を口にした。
 そりゃそうだろう、仕事場では「高野さん」を徹底してるけど、家では気を抜くと未だに「お兄ちゃん」呼びになるくらいだ。
 三人は明らかに落胆する。
 木佐に至ってはブーイング。







「律っちゃん、もっと恥じらってよ」
「そんなこと言われても‥‥‥‥‥もう呼び慣れてるんで」
「にしても高野さんがお兄ちゃんって、ちょっと違和感ありますね」
「高校のうちに親が結婚して離婚したんでしょ? なのにまだ関係続いてるってすごい」
「まあ確かに、元義兄弟なんて傍から見れば微妙な間柄だろうな」







 でも、何より大事だと思ったんだ。
 本当の親より、こいつとの縁を切りたくないと当然のように感じてしまう程。
 それが現実に十年も続いているんだから、確かにすごいよな。
 広大な砂漠から涙より小さい花の種を探し出すくらい、確率が低いどころか有り得ないような出会いだったのに。
 それがいつの間にか十年経って、何度も何度もつぼみを付けて、咲き誇って。
 どこかに落とし穴があるんじゃないかって不安になるくらいの幸せの花芽を持て余してる。







「高野さん、昔の小野寺くんってどんな感じだったんですか?」
「あっそれ気になるー!!」
「ああ、すげー可愛かった、今と違って。素直で純粋で癒し系で、何するにも俺の後にくっついてきて。
 甘えたな子犬みたいだったなぁ、今と違って」
「そういう高野さんは無口でクールでかっこよかったですよね、今と違って」
「えっ何、奢らねーよ?」
「いりませんよ、俺だってこれでも自分で稼いでるんです」
「こないだまでプーだったくせに」
「言っときますけど離職期間一ヶ月もありませんでしたからね?」







 ちくちくとやり合う俺たちを、ホント仲いいね〜とあたたかい眼差しで傍観する三人。
 とりあえず平和な飲み会の風景。

 だから一時間後、俺は自分の目を疑った。
 作家から急な連絡が入って三十分近く席を外して戻ってきたら、ヤツらにしこたま呑まされた律がべろべろになってたから。
 ああ、俺さりげなく、酒強くない律があんま呑まないように注意してたもんな‥‥‥‥‥。
 ばれてたか。
 ばれたら呑ませたくなるよな。しかも気にしてた俺が抜けたわけだから。
 悪乗りしやすいこいつらならやりかねないこと忘れてた。





















 やっとの思いで律をベッドに下ろし、俺は深々と溜息をついた。
 当たり前だけど、やっぱり重い。
 俺に比べれば小さいし華奢とはいえ、れっきとした成人男性だもんな。
 高校生の時ならもうちょっと軽かったんだろうか。
 床にへたりつつ、そんなどうでもいいことを考えていたら、不意に律が呻った。



「‥‥‥‥‥律? 水飲むか?」



 座り込んだ俺のちょうど目の前に律の顔がある。
 瞼を閉じたまま眉間に皺を寄せて、「うん」とも「ううん」とも取れない声を上げる。
 まあ、こんだけ呑んだのは久しぶり‥‥‥‥むしろ初めてくらいの勢いだろうからな。
 弱いことを知った俺があんまり呑ませなかったし、本人もそこまで好んでる訳じゃなかったから、歩けなくなることなんかなかったはず。
 明日何も覚えてないかもしれないな。
 でもお陰で初めて律をおんぶなんか出来たわけだし、この先そんな機会ないかもしれないし。
 よしとするか。

 自己完結したタイミングで、また律が呻る。















「んん、‥‥‥‥かの、さ」















 今度はちゃんと言葉だ。むにゃむにゃして聞き取りづらいけど。
 でも俺は答えない。















「‥‥‥‥‥‥‥‥‥おにー、ちゃん?」















 呼称が変わった。
 それでも返事をせずにいたら、律の瞼がふるりと震えた。
 重たそうに、仏像並みにほんの僅か開いたそこには、綺麗な瞳。
 またすぐ閉じてしまったけど。
 本当眠そうだな。







「なあ、律」
「‥‥‥‥‥んー、」
「俺、二人の時は他の呼び方がいいって、言ったろ?」







 俺が大学に入って少ししたくらいの時か。
 いろいろ我慢していた反動でついキスをしてしまって、その後家で最初は怖々、途中からはお互い気持ち悪いくらい照れまくりで話をした時。
 違う呼び方にして欲しいって頼んだ。
 もし、もしも本当にそういう関係になれるなら、ちゃんと実感が欲しかったから。
 もちろん仕事中は「高野さん」でいい、っていうか仕方ないけどさ。
 今は他に人目なんかない。











 そしたら律はもう一度、うっすら目を開いて。



























 ふにゃっと、咲った。

































「だっこ、して? まさむね」





























 なんだよ。
 今まで何回言っても「さん」付けだったくせに。
 ていうかだっこって、今時小学生でも言わねーだろ。







 頭の中では文句がぐるぐる回ってるが、顔は誤魔化しようがないくらい真っ赤になって、
 咄嗟に手で覆った口元も抑えようもないくらいにやけてる自覚はあった。
 ああよかった、見られなくて。
 ここまで情けないところはさすがに晒したくないから。





















「‥‥‥‥‥‥‥‥‥しょうがねーな、」





















 ベッドに手をついて立ち上がり、そのままゆっくりと律の隣に寝転がる。
 腕を回そうと手を伸ばした時点で、そいつはころんと俺の胸にすり寄ってきた。
 一瞬固まった俺を誰も責められないだろう。
 就職していろんなものを見たからなのか今更反抗期みたいになってて、こういう仕草は珍しい分、破壊力が半端ないんだ。
 結果、抱きしめてやる力の加減がよくわからなくなってしまったけど。
 律の唸り声が、甘えるみたいな満足そうな声音に変わったからよしとするか。
 俺が好きな、親しんだにおいよりアルコール臭の方がきついけど、俺も疲れてるし風呂に入れる気も‥‥‥‥‥というか自分が入る気すら起きない。
 明日休みだし、いいよな。だらだらしたって。















「おやすみ、律」















 俺はいつもみたいに色素の薄い髪を梳きながら、酒のせいか赤みを帯びた額にやさしく口付けた。





















 翌日、二日酔いでうんうん言ってるそいつの世話で一日終わったのは別の話。



























 色鮮やかに輝く、なんでもないような毎日。











 ほら、また、つぼみがひとつ。