極彩色ハーモニー
随分明るい髪色だな、と思った。
中高一貫校、中等部の入学式。
在校生も出席しなきゃいけなくて、三年の俺は嫌々ながら参加してて。
たまたま、見つけた。
というか、すげー目立ってた。
着崩すという言葉すら知らないような、模範的なブレザー姿。
なのにその髪は日の光を受けて、蜂蜜みたいな色をしてる。
ここはいわゆる金持ち学校で、結構ステータスの高い家のガキが来るところ。
不良とかはいないに等しいから、目をつけられるとか、そういうのはないだろうけど。
中学に上がるから浮かれて、ちょっとはっちゃけてみた‥‥‥‥‥っていう感じでもない。そういうの縁なさそうだし。
てことは、やっぱ地毛? ハーフとか?
何時間もただ座ってるだけの逃げようのない状況下、暇で暇で仕方なかった俺は、これ幸いとそいつを目で追った。
それは、ただ一時の退屈しのぎのはずだったのに。
髪染めてるヤツは割といる。
いくら親の地位が高くても、俺らはただの十代だしな。
もちろん奇抜な色は駄目で、なんとかっていう茶色までなら許されるらしい。
あいつは、かなり微妙なラインだろう。
でもそれ以前に、中等部のうちは染めないっていう暗黙の了解がここにはある。
だから、高等部の学ランじゃなくてブレザーにあの色は、やっぱり目立った。
中高の制服が混在する図書室、そいつに気付くヤツは気付いて、訝しげな視線を送る。
それでも毎日、あいつはここに来る。
全く気にならないのか意識的に無視してるのかはわからないが、萎縮してる様子はない。かといって堂々としてるわけでもない。
普通に、ごく自然に、当たり前に本を選んで読んで帰って行く。
親近感が沸いたのは、あいつも閉門ぎりぎりまで図書室にいるから。
暗くなっても残ってるのは俺たちと、他に誰かいる時もあれば、いない時もある。
まあ二人して追い出されても、別に知り合いでもなんでもないからそれぞれ家へ帰るだけ。
そんな毎日を飽きもせず繰り返して繰り返して繰り返して、
あいつも学ランになった。
「あ」
タイムリミットが近づいた頃、俺は本を読み終わってしまい、次を探すため席を立った。
といっても、もう何にするかは決めてある。
迷わず、書架を縫って目的のところへ向かったけど。
ちょうどそこに、あいつがいた。
相変わらずきちんと制服を着ている。
やっぱり真っ黒で似合わねー。
そして、入学式では日の光で蜂蜜色に見えた髪は、実際はそこまで明るくなかった。
焦げ茶じゃないし‥‥‥‥‥キャラメル色? 知らねーけど。
俺は多少迷ったけど、そのまま足を止めずに近づく。
気付いてるはずなのに、そいつはページをぱらぱら捲るだけで俺を無視してる。
拒絶するような、空気になることを望んでるような、そんな感じ。
どうやら、そいつが持ってるのは、俺が狙ってたのと同じ本らしかった。
でも確かもう一冊あったよな、と棚を見上げるとビンゴ。
抱きしめられそうなくらい近くへ行って、その本を手に取る。
同じのだとわかったのか、ちらっと、初めて俺に視線が向いた。
そいつの背は俺より低くて、ちょうど目の前にキャラメル色がある。
瞳も同じ色だって今知った。
顔はまだあどけなさが強くて、いかにも年下。
それに不釣り合いなくらいの無表情。
「お前さ、それ地毛だよな」
何か考える前に、口が動いていた。
別に話しかけるつもりなんかなかったのに。
自分で自分の行動に困惑してると、そいつも少し驚いたように瞬きする。
「‥‥‥‥‥‥なんで地毛だと思うんですか?」
少し掠れた、変声期を終えてない声。
「地毛だろ、なんて言われたの、初めてです」
「違うのか」
「‥‥‥‥‥いえ。地毛です」
まあそうだよな。
もう初めて見てから三年経ってるけど、ずっと変わんねーし。
根本も黒くないみたいだし。
俺がその時そいつの髪に触れたのは無意識で、ほんの気まぐれで。
ずっと目で追ってきたそれは、ふわふわとやわらかかった。
顔くらいはなんとなく知ってたにしても、いきなりこんなことされたら嫌がるはずと思いきや、
意外にも大人しくされるままになってる。
「‥‥‥‥お前、一年だよな」
「よく知ってますね」
「名前は?」
「聞く前に名乗るのがエチケットじゃないですか?」
「嵯峨政宗。高三」
「小野寺律です」
お互い、よろしくなんて言わなかったけど。
これが俺と律の、最初のコンタクトだった。
俺は人間関係とかそういうのに無頓着だけど、どうやら律もそうらしい。
類は友を呼ぶっていうしな。
そんなわけで、俺たちが交友を深めるとか仲良くなるとか、そういうのは恐ろしく歩みが遅かった。
でも好きな本とか作家もかぶってたし、何より気を使わなくていいから楽で、気がついたら放課後家に呼ぶくらいの仲にはなってた。
そしてその日、俺の部屋。
律がきつく握りしめているのは、どこかで買ってきたらしい染髪剤。
黒くするやつ。
手が震えてる。
「‥‥‥‥‥お前が染めたいっていうなら、手伝うけど」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「染めたくねーんだろ」
うちと同じように、律のところも家庭事情が微妙だった。
律の場合、親が不仲な理由は、律にあった。
日本人にしては薄い、髪と瞳の色。
両親の血縁にそういう人はいないらしい。
当然疑われるのは母親で、父親は律が不義の子だと信じて疑わないらしい。
母親の方は違うと言い張っているようだけど。
ぶっちゃけ、どうでもいい。
問題は、律が思い詰めてること。
こんなものを買ってくるくらいには。
でも自分で染めないで俺に見せるってことは、止めて欲しいってことなんだろ?
俺は、お前の望む言葉を知ってる。
それが俺の本心だということを、お前は知ってる。
「嫌なら染める必要なんかない。つーか染めても、見た目が変わるだけでなんの解決にもならねーだろ?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥で、も」
「あとさ、個人的な意見を言わせてもらえれば。俺、その髪好きだから、染められるのすっげー嫌」
「‥‥‥‥‥‥‥え、」
「お前がどうしてもって言うなら、もう何も言わねーけどさ」
多分特別な手入れとかしてないんだろうけど、律の髪は指通りがいい。
染めたら傷むのか。ぎしぎしするとか?
もったいねーなと思いながら撫で回してたら、律が小さな声で「先輩」と俺を呼んだ。
「先輩が、‥‥‥‥‥‥‥そこまで言うなら」
「染めねーの?」
「‥‥‥‥‥‥‥俺が染めちゃわないように、毎日、髪撫でてください」
「ん。わかった」
おいで、って手を広げると、そいつは大人しく俺の腕の中に収まる。
意地っ張りな後輩が珍しくぐずり出すから、俺は一回り小さい背中をさすって、綺麗な色の髪にキスをした。
きっかけは、中学の入学式の暇潰し。
そんなありそうでない縁が、十年以上続いてるってすごいと思う。
「高野さん」
「なんだ」
律の家は、姑の圧力に切羽詰まった母親がDNA鑑定なんて大層なことをして、結局正真正銘律の父親と母親の子供だと照明された。
長いこと確執があったからぎくしゃくしたままだが、とりあえずまだ家族をやってるらしい。
一方うちはと言えば結局両親が離婚し、その後俺と父親は血が繋がってないことが判明。
今はどっちも別の家庭がある。
ひとつの家庭がなくなったのに残った俺はなんなんだろうな、って、思春期か俺。
「政宗さん、」
俺たちの身長差は一定のまま。
すっかり見慣れた位置にある律の顔は、少し眉根を下げていて。
伸びてきた手が、俺の頬を撫でる。
「俺、今日こっちに泊まってもいいですか?」
少女漫画において、離婚だなんだっていうのはちょっとしたスパイス。
主人公の生い立ちで、たった数行の説明で出てきたりする程度。
そんなもんにいちいち反応してしまう俺は、本当情けなさすぎるだろ。27にもなって。
だから俺は誰にも気付かれないように動揺を隠そうとする、けど。
律は必ずそれを察知する。
そして俺の傍にいて、俺を一人にしないようにして、俺を必要としてるって教えてくれようとする。
恩を着せるどころか無意識に。
だから俺はこいつから離れられない、手放せない。
「聞かなくても泊まれよ」
「一人になりたい時もあるでしょ」
「お前は俺にとって空気と一緒」
あって当然。
あることが自然。
気付かないくらい当たり前に、俺に寄り添ってくれるひと。
「律」
「好きですよ」
「先に言うな」
「今日はカレーですね」
「辛口にするか」
「甘めの中辛で」
「人参多めで」
「嫌です」
「好きだよ、律」
「知ってます」
「知ってる」
とりあえず、部屋入ろうか。
俺は一度も染めていない馴染んだ感触の髪に触れ、今までと今とこれからの感謝を込めて、キスを落とした。