ご容赦ください
鬼。
想像上の怪物で、冷徹、無慈悲、荒ぶる者の象徴。
その周期、編集長は本物の鬼だったと、後にエメ編部員全員が証言した。
とにかく、強引さも横暴さもイライラ度数も半端ではなかったのだ。
営業部長は役に立たないだのなんだのと影で言いながら、とりあえず本人の前ではきちんと取り繕っているのに、
先日の重役会議では本気で掴みかかろうとしたらしい。
たまたま同席していた暴れグマが押さえるのに苦労したというのだから、相当な剣幕だったことは容易に想像がつく。
今はとりあえずいつものデスクにいるが、目は血走っていて隈もいつも以上でどす黒いオーラだだ漏れで、
とても近づける雰囲気ではない。
「俺もう無理‥‥‥‥ねえ律っちゃん、一瞬休憩行かない‥‥‥‥?」
周期(臭気)真っ只中、俺はゾンビ仲間‥‥‥‥もとい木佐さんに誘われて、水分補給に行った。
俺もかなり詰まってたから、仕事を離れる理由をもらって正直ありがたかった。
「高野さんさ、どうしたのかなぁ」
なんか様子おかしいよね。
自販機にお金を入れてからどれにするか悩む木佐さんは、そう呟いた。
俺も同感。
まだ丸川に来て、あの人の下についてそんなに経っていないけど、あんな状態は一回もなかった。
「今までも、やっぱりなかったんですか?」
「いやー、ないない。高野さんがエメ編の編集長になってからずっと一緒にやってきたけど、ホントにこんなの初めてだよ。
風邪ひいてるのに休まなかった時も、そりゃあ凶悪だったけどさ。あそこまで余裕ないなんてよっぽどだよね」
「‥‥‥‥‥‥何か、あったんですかね」
「どうだろ。でも前、ベテラン作家二人の原稿ぎりぎりで落とした事もあったし、それに比べれば今の忙しさって普通レベルだし。
ってことはあれかな? プライベート?」
「そういうの仕事に持ち込まないでしょう、あの人は」
「そうだけど、他に理由なくない?」
確かに仕事上では、本当に理由が見つからない。
でも、プライベート?
何かあったんだろうか?
自分にも他人にも厳しくストイックな彼が、仕事を半ば自棄になってこなすような出来事が?
「ホント、どうしたんだろうね。あんな前倒しで仕事進めるなんて」
確かにこの調子でいけば校了も多少は早まるかもしれないけどさ、とぶつぶつ言っている木佐さんの声を聞きながら、
俺はブラックのコーヒーを一気に飲み干し戦闘態勢を整えた。
「じゃあ、各自残ってる仕事が終わったら帰ってくれ。お疲れ」
なんとか無事、校了。
と思ったと同時に、高野さんは帰っていった。
俺たちは唖然として、疾風の如く去っていく編集長を見送ってから、皆で顔を見合わせた。
「‥‥‥‥おかしいな」
「うん。なんか変だよね」
羽鳥さんがぼそっと言うと、美濃さんが同意する。
やっぱりエメ編みんながそう感じてたんだ。
いやまあ、そうだよな。他編集部の人でさえ「高野さんどーしたの?」ってこっそり俺たちに聞いてくるくらいだもんな。
「何か、あったんですかね」
「さあ‥‥‥‥。でもあの人、何かに腹を立てても、仕事に支障を来すからってそんなに長続きさせないからな」
「かなり長い間根に持ってるけどね〜」
「それにさ、特定の誰かに苛ついてるって感じじゃなかったよね?」
「そう、それ俺も思った!」
「今のを見る限り、周期を早く抜け出したかったみたいだな」
でもそんなことで、あそこまで焦るような人だろうか。
考えてることは他の三人も同じようで、必然的に一様に黙り込んでしまう。
「‥‥‥‥こうやって考えてても埒あかないね。副編集長、今度高野さんにさりげなく探り入れてよ」
「断る。自分で聞け美濃」
「嫌だよ、まだ死にたくないし。じゃあ木佐ね」
「じゃあってなんだじゃあって!! 俺だって嫌だ!! というわけで律っちゃん!!!」
「全力でお断りさせていただきます」
「ああもうわかったから、さっさと終わらせて帰るぞ。休みが減る」
「わかったってことはトリ行ってくれるの!? やりぃ!!」
「報告よろしく〜」
「なんでそうなる?」
今日は校了。明日は休みだ。
もう早く終わりたくて逆になかなか進まないけれど、俺たち四人は最後の仕事に集中する努力をした。
「つかれた‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
言っても疲れは取れないけれど、言わずにはいられない。
電車はそこまで混んでなくて、座ってしまったが最後、眠気が混紡片手に襲いかかってきた。
もうこのまま寝てしまおうかとすごく思ったけど、終電まで延々と折り返し続けることは目に見えてたから、必死にその誘惑に抗った。
家に帰って、ベッドで寝よう。
その方が確実に疲れも取れるし、何も気にせず寝続けられる。一生でも寝てられる。
俺はよろめきながも、ふかふかのベッドを心の支えに、なんとか改札を出ていつもの坂を上り始める。
そういえば、高野さんは家にいるんだろうか。
慌ただしく編集部を出て行ったけど。
「何かあったのかな‥‥‥‥」
俺たちは多分今、付き合ってる。
この間自分の気持ちを伝えて、一応両思いになった。
でもその直後周期に突入し、恋人らしいことは何もしてない。
会社に泊まり込んだりすれ違ったりして、ずっと上司と部下の会話しかしなかった。
いや、出来なかった、というのが正しいか。
だからお互いの気持ちが一方通行でないことはわかっているけど、じゃあ付き合ってるかというと微妙な気がする。
わかってたけど、やっぱり、『好きです』の4文字じゃ何も変わらないんだな。
学生時代みたいに一日のほとんどを恋愛につぎ込む余裕は、社会人にはない。
「ていうかなんかもそれすらうどうでもいいっていうか‥‥‥‥‥」
寝たい。
今はとにかくひらすらに寝たい。
エレベータの中で座り込んでしまいそうになる足を叱咤して、自分の部屋の前まで辿り着いた。
鍵を探すのも億劫だ。
いつかのように、ベッドまで辿り着けず、玄関先に転がることになるかもしれない。
ああもうそれでもいいやと、やっと見つけ出した鍵を鍵穴に差し込もうとした時。
隣の部屋のドアが開いて。
その人と、目が合った。
「高野さん」
あんなに急いでたのに、結局家にいたんだ。
用事があったとかでもないんだろうか?
なんて働かない頭で考えていると、高野さんは足音も荒く俺のところまで来て。
がしっと音がしそうなほど強く、俺の腕を掴んで、同じ経路を引き返し始めた。
「えっ!? あのっちょ、高野さん!?」
痛い!! ていうか離せ!! 俺は疲れてるし眠いんだよ!!
と、言いたいことはいろいろあったけど、行き先は所詮隣。
俺はあっという間に隣に連れ込まれた。
ドアが閉まり、鍵を掛けられる。
いつもと雰囲気が違う。
なんか、怖い。
「たっ高野さ、あの」
「飯作ったから」
ぼそりと呟かれたなんの脈絡もない台詞を、俺は一瞬聞き逃しそうになった。
「‥‥‥‥‥‥‥めし?」
「ちょっと手抜きだけどな」
そういえば何か、いいにおいがするけれど。
もしかしてそのために急いでた‥‥‥‥とか?
いや、そんなはずないとは思うけど、睡眠欲に打ち消されていた食欲が少し芽生える。
でも一瞬気を逸らしたのが悪かった。
ぎゅう、と、隙を突いて抱きすくめられる。
「あ、‥‥‥‥あの、高野さん? くるし」
「小野寺」
「は、はい?」
「‥‥‥‥‥あー‥‥‥‥やっと、触れた」
耳許で吐息混じりに呟かれる。
安堵したようなため息と共に高野さんの肩の力が抜けて、逆に、腕にはますます力を込められる。
痛いって訴えても聞いてもらえない。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥やばかった。今回の周期」
「へ? 特別忙しいとかなかったじゃないですか」
「違ぇよ」
ていうかこれ、さっき会社で誰が聞くかもめた内容だよな。
違うって事はやっぱりプライベートが原因なのか? なんて考える。
ホント他人事だった。
その時点までは。
「‥‥‥‥‥‥せっかくお前が好きって言ってくれて、やっと恋人になれたと思ったのに、構う暇も触る暇もねぇし」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥は?」
「周期明けに、天の邪鬼に戻ったお前に『何勝手な妄想してんですか、俺が好きとかいうわけないじゃないですか!!』とか言われたら、
マジでどうしようかって思ったら、柄にもなく焦って‥‥‥‥」
ああ、うん。言いかねない。我ながら言いかねないですね。
いやちょっと待て。
「‥‥‥‥‥‥あの、たかのさん‥‥‥?」
「‥‥‥‥なに」
「もしかして、あんな余裕ない感じで仕事してたのって‥‥‥‥‥‥それが原因、とか?」
「アホか。他に何があるんだよ」
え、それって。
つまり俺のせいってこと?
高野さんがあんなエメ編部員・作家・営業部長等相手を問わず怒鳴り散らして恐怖と困惑をばらまいたのは、
とどのつまり俺のせいなわけ!!?
「ば、ばかですかアンタは!! どんだけ周りに迷惑かけたか自覚してるんですか!?」
「してる」
してんのかよ!!!
「自分でもわかってた。でもしょうがねーだろ。‥‥‥‥‥‥‥‥余裕なかったんだよ、ホントに」
お前の振る舞いが、部下以上でも以下でもなかったから。
俺の頬に頬を擦り寄せて、ぼそぼそ釈明する高野さんには、敏腕・俺様編集長の陰すらない。
ああ、もしかしてこのことだったんだろうか。
例の高野さんが営業部長に食ってかかった事件の後、高野さんをエメ編に押しつけてから俺を呼びつけた横澤さんが、
まさに苦虫を噛み潰しましたっていう顔でたった一言吐き捨てたのが。
『お前な、政宗のこと捕まえたなら、ちゃんと手綱も掴んでおけ。迷惑極まりない』
あの時はエメ編全員が殺気立ったままの高野さんをなだめるのに必死で、その意味がよくわからないままだったんだけど。
横澤さんには最初から、高野さんがこうなった原因が俺だってわかってたんだろうか。
同時に、高野さんが俺の采配次第で、大人しくなることも。
今高野さんは、腕の力をこれっぽっちもゆるめずに、「律、律」って確かめるように俺の名前を呼んでいる。
‥‥‥‥‥‥‥‥手綱。
「高野さん」
「‥‥‥‥‥‥‥りつ、」
「高野さん、ちょっと離してください。別に逃げたりしませんから」
とりあえずこの距離がない状態をどうにかしたくてお願いすると、やっと少し、拘束が和らぐ。
彼の胸を押して隙間を作り、顔を上げる。
俺を不安そうに見つめ返してくる高野さんに、笑いかけてみせる。
「高野さん。俺、ちゃんと高野さんが好きですよ。だから大丈夫です」
「律‥‥‥‥」
「でも今回、エメ編だけじゃなくてすごくたくさんの人に迷惑かけちゃってるんですからね?
営業部長とか横澤さんとか、例の会議に出てた人たちにも」
「‥‥‥‥‥‥わかってる」
「だから、月曜日はちゃんと皆さんに謝ってきてください」
「‥‥‥‥わかった」
俺が言うのも変だけど、今日のこの人はすごい素直だ。
部下に命令されてるのに大人しく頷いている。
なんかかわいいなぁと思って、俺はつい手を伸ばして、いい子いい子って頭を撫でてあげた。
二つ年上で中高の先輩で上司で今28歳のこの人にこんなことするのはおかしい。それはわかってる。
でも高野さんは満更でもなさそうな顔でされるままだ。
俺はこんな高野さんを知らない。
だけどこうして接していると、なんとなく、17歳のこの人の相手をしているような気がしてきた。
家庭事情が複雑で、あんまり人と関わろうとしなくて、何事にもクールだった先輩。
26になった今の俺があの時の先輩を見たら、隠しきれない孤独や寂しさに気づけたんじゃないか。
15の俺には出来なかったけれど。
今も、その癒しきれていない傷を治すことは出来ないかもしれないけれど。
こうして恋人として、傍にいることは出来るから。
「大変なのはわかりますけど、それ相応のことをしちゃったんですから、今回は頑張って謝罪参りしてください。
その代わり、今日は俺、ここに泊まってあげます」
「‥‥‥‥‥‥明日も泊まれよ」
「それは明日決めます」
「むしろさっさと越して来い。片付けならいくらでも手伝ってやるから」
あ、少し調子が戻ってきた。
俺に御されてるって気付いてるのか苦笑いしてる。
でもどこか、嬉しそうで。
「それはまた今度考えます。というかご飯いただいてもいいですか? まともなもの食べてなかったしお腹空きました」
「ああ。もっかい焼き直さなきゃいけないかもな」
「そういえば手抜きって言ってましたけど、何作ったんですか?」
「冷凍のご飯でグラタン。あーあと、お前が好きっつってた杏仁プリン買ってきたぞ」
「お邪魔します。」
「どーぞ、お待ちしておりました。つか待ちくたびれた。なんでこんな時間かかったんだよ」
「飛びかける意識をつなぎ止めるのに精一杯だったんです」
「屍放置してきてないだろうな」
「大丈夫ですよ、みんなほとんど同時に帰りましたから。まあ電車で寝過ごしてるとかその辺はわかりませんけど」
言いながら、俺は靴を脱いで。
多少余裕を取り戻して微笑んでいる高野さんの隣に立って。
リビングまでの短い距離、俺たちは手を繋いだ。
月曜日。
周期が明け、エメ編に鬼はいなくなった。
冗談抜きで恐ろしかったあれの後だと、俺様で横暴な態度も可愛く見えるから不思議だ。
ああもう、二十日大根なんか収穫できなくていいから、このまま時間が止まってくれればいいのに。
そう思っているのは何も俺だけじゃないだろう。
いやまあ、周期が明けると同時にどピンク一色に染まるこの編集部は、ちょっとどうにかしてほしいと思うけど。
「そういえばさぁ、律っちゃん聞いた?」
「なんですか?」
「高野さん、営業部とか井坂さんとことか行って、こないだのこと謝り倒したらしいよ」
ああ、もう行ってきたんだ。
まあ謝るなら早いほうがいいし、きっと高野さんにとってもプラスになるはず。
少なくともキャリアに傷が付くことは避けられたかな、と俺はほっとしつつ、「そうなんですか」と相槌を打つ。
ちなみに本人は今打ち合わせに出ている。
「でも、ちょっとびっくりしたよね。部下の僕たちにも謝るなんて」
「そういうところ、きっちりけじめつける人だからな。その方が俺たちも働きやすいだろ」
「だけどさーホントになんだったのかな。高野さん結局教えてくれなかったし」
「わかったのはプライベートっていうことだけだったね」
「うぅ〜〜気になる気になるーー!! あの高野さんにあそこまで余裕なくさせて、
しかもあんなしおらしい態度で謝らせることが出来るって何!? 誰!?」
「木佐。うるさい。仕事しろ」
「なんだよ気になんねーのかよ!!」
「なったって教えてもらえないんだから考えても仕方ないだろ」
「そうだよ木佐。そうやって騒がれるとこっちの仕事も進まないんだけど?」
「う゛っ、ゴメンナサイ‥‥‥‥」
でもすごい気になるーってぶつぶつ言う木佐さんの呟きは、とりあえず聞こえてないことにした。
あ、高野さんだ。
隣でドアを開ける音がしてすぐわかったけど、俺は敢えて動かなかった。
じっと、携帯を握りしめて待つ。
多分疲れ切ってるだろうからすぐには連絡来ないだろうと思ってたのに、即だった。
鍵開いてる、と一言だけ。
俺はそのお墨付きを持って、彼のところへ行った。
廊下に鞄が放置してあったからそれを拾ってリビングへ向かうと、床に直に座り込んでソファにもたれかかってる高野さんがいた。
気配に気付いたのか、顔をこちらに向ける。
「‥‥‥‥小野寺」
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
「‥‥‥‥‥‥‥全くだ」
今日、高野さんは営業部長と飲みに行った。
この間の無礼は酒でちゃらにしてやると言われたらしい。
高野さんはお前と一緒にいたいから行きたくないって駄々をこねたけど、なんとか説得した。
今回のことは完全に手綱を放した俺も悪いし、後々に禍根を残して欲しくなかったから。
顔を覗き込むと、疲れきってるし酒臭いけど、大して酔ってはいないらしい。
「あんまり飲まなかったんですか?」
「ああ。あっちに飲ませるのに必死だったし」
早いとこ酔い潰して解放されたかったから、と肩を竦める。
で、その酔い潰した部長をその後どうしたんだと聞くと、横澤に押しつけてきたと言う。
ああ、かわいそうな横澤さん。
今度何か、当たり障り無いものを差し入れといた方がいいかもしれない。
「‥‥‥‥‥律」
「ああ、はい」
気がつくと、高野さんが俺に手を伸ばしていて。
俺は正座をして、やさしく高野さんを抱きしめる。
そうすれば、俺より背の高いこの人を、胸の中に抱き込めるから。
労るように髪を撫でると、小さく笑う声がした。
「なあ、律」
「はい」
「お前、俺の十年物のひねくれ度は半端じゃないから覚悟しとけって、俺に言わなかったっけ?」
「あー‥‥‥‥言いました、ね」
「一ヶ月前と比べたら見る影もないんだけど」
「しょうがないじゃないですか。高野さんのキャラが急に変わったから、それに引きずられたんですよ」
俺は事実を言っただけ。
なのに高野さんは、興味深そうに片眉を上げた。
「‥‥‥‥‥へえ。変わった?」
「自覚ないんですか」
「ない。教えて。どんなふうに変わった?」
即答だけど‥‥‥‥本当に自覚ないんだろうか。
ちょっと疑ったけれど、ひとまず感じたとおりを答えることにする。
「変わった、っていうか。高校生の時に戻ったような気がします」
離れていた十年間で、この人は人と付き合うことを覚えたし、上っ面が厚くなって、
まあよく言えば社会人らしくなったっていうところだろう。
でも経験で覆い尽くされた核の部分にいるのは、多分17歳のままの彼なんだと思う。
今の俺は、全部を包んであげられているだろうか。
この人が拒絶する俺の中にずかずか入ってきて、そのくせ、縮こまっていた15歳のままの俺を、その殻ごと愛してくれたように。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥律」
「はい」
「俺のこと好きって、言って」
その求めにすぐ答えられるほど、俺は勇気もないし、今までの癖で咄嗟に反抗してしまいそうになる。
でもそれを受けとめ慣れていないのは、この人も同じで。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥好きです、高野さん」
言う度に、この人は少し泣いてしまう。
誤魔化しきれていないとわかっているのに誤魔化そうとするから、俺も追求しない。
今は余裕なんかなくていい。
俺たちのペースで、少しずつ、十年間の空白を埋めていきましょ?
二人で穏やかに笑える日が来たら、きっといい笑い話になるだろうから。
だからまだしばらくは、こんな不器用な俺たちだけど、ご容赦ください。