干し柿とドアの中




 やけに遠くで、チャイムの音が聞こえた。
 でも俺は今リビングにいるから、それは少し変で。
 どうやら隣だったらしい。
 ドアが開く音がする。宅配便かだろうか。
 何が届いたのかあとで聞きに行こうと思いながら、俺はきりのいいところまで本を読み進めるべくページを捲る。

 しかし。
 数分としないうちに、今度はうちのチャイムが鳴った。










「高野さんにお願いするのはものすごく癪なんですか、俺ホントに困ってるんで助けてください」










 ドアを開けると、部下兼隣人兼元恋人兼現在進行形の初恋相手が立っていた。
 言葉通り困り果てた顔をしている。
 そしてその手には、重そうなでかい箱。
 さっきの荷物か?

「‥‥‥‥おねだりがちょっと気に障るが、とりあえず貸せ」
「俺もあんたの言い種が気に障りますがお願いします」

 とりあえずそれを受け取って、廊下に下ろす。
 箱は既に開いていて、その中身は、



「柿?」
「渋柿だそうです」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥相手、お前が一人暮らしだって知ってんの?」
「もちろん知ってます」
「多すぎだろ」
「ホントですよね。あと干し柿にしてから送ってよとも抗議したんですけど、自分で作った方がおいしいからとか言われて」



 まあ、それはそうかもしれないけど。
 箱の中にはそれはそれは立派な枝付きの柿が、見たとこ30個は入ってる。
 これが全部渋柿なら、とにかく干し柿にするしかない。

「入れ」
「えっ?」
「干し柿作るの手伝ってやる」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥やっぱりそのままじゃ食べられませんよね」
「何、食べてみる? チャレンジャーだな」
「いいえ結構です!! お邪魔しますっ」

 自分に送られてきた荷物だからか、小野寺はいつもよりすんなり中に入った。
 俺はとりあえず、それをリビングまで持っていく。
 取り出して改めてみると、ずっしりと重く、相当いい柿のようだ。
 作り甲斐がありそうだな。

「じゃあ、とにかくまず剥かなきゃいけないから手伝って」
「あ、はい」

 果物ナイフを渡して、二人で仲良く台所に並んだまではよかったのだが。







「いった!!」







 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第一刀でこれだもんな。







「‥‥‥‥‥‥お前、本当に人の期待を裏切らないよな」
「すみません‥‥‥‥」
「ほれ。指貸せ」

 傷の深さをみるためだと思ったのか、小野寺は素直に手を出してくる。
 ホントそういうとこ、可愛いよな。
 幸いちょっと切って血が出てるだけだったから、俺はその指を口に含んだ。



「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ぎっっぎゃあああああああ!!!!」
「何」
「な、何じゃないですよこのセクハラ魔!!! 離してくださいっ!!! うわ、ちょっ‥‥‥‥」



 軽く吸い付いてやると、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせる。
 思惑通り、最中を思い出してくれたようだ。
 心の中でほくそ笑むと、残念ながらそれが顔に出てしまったらしく、そいつは俺の弁慶の泣き所を思いっきり蹴りやがった。

「いっって!!」
「と、当然の報いです!! 絆創膏ください!!」
「ったく、このじゃじゃ馬。そこの戸棚に救急箱入ってるから勝手に出して」
「そっちが悪いんじゃないですか!!」

 可愛くないところも可愛いなんて、俺は重症どころか末期に違いない。
 いやでも十年蝕まれてればそれだけ進行もするだろうよ。
 俺は痛む足をさすってから、皮むきを再開した。

「小野寺。絆創膏貼ったら、そこの棚の下の方にある荷造り紐出して」
「え? これですか?」
「ん。で、その辺にハサミあるから、それで60センチくらいに切っといて。10本くらい」
「あ、はい」

 刃物を使うのは好きだ。
 危ない意味じゃなくて、自分の動き一つで形が変わっていくのが楽しい。
 そういえば、写植とかトーン扱う時もカッター使うよな。
 あいつ、こんなんでよく仕事やってるな‥‥‥‥‥。
 ある意味すげー。





「‥‥‥‥‥‥よし。終わり」
「はぁ‥‥‥‥」

 紐を切り終わってから、俺が柿剥くのを横からじいっと見てた律が、感心したようにため息をつく。
 俺はにやっと笑ってやった。

「惚れ直した?」
「寝言が言えるように寝かせてあげましょうか?」

 拳を固める小野寺はやっぱり可愛くない。なのに可愛く見えるから不思議だ。
 俺は柿をテーブルに移動させて、大量の荷造り紐を取った。

「この縒ってるとこに、枝の部分引っかけて。こんな感じで」
「はい」
「一本に三個でいいと思う。あ、ちゃんと隙間開けてつけろよ。カビ生えるからな」
「‥‥‥‥‥主婦みたいですね高野さん」
「これくらい知ってるだろ普通」
「そうなんですか?」

 これは大して手間のかかる作業じゃない。
 無駄口叩いてる間に出来たそれをぶら下げて、俺たちはベランダへ向かった。
 物干し竿に、柿が互い違いになるように結びつけていく。

「これで終わりですか?」
「一週間くらい経ったら、数日おきに一個一個揉むんだよ。そうすると渋みが抜けやすくなるからな」
「そうなんですか」
「それはお前の仕事な」
「え!?」
「お前んとこに送られてきた柿だろうが」
「まあそうですけど、いや、そういう問題じゃなくて‥‥‥‥!!」

 わかってるよ。
 ここに来るのが嫌なんだろ?
 わかってるから、俺はそいつの頭をぐちゃぐちゃに撫でて、口を封じてやった。

「これ、出来たら絶対美味いだろうな」
「そ、そうかもしれませんけど‥‥‥‥」







 なあ、律。
 お前は十年前のことで、恋愛に臆病になってるんだよな。
 好きになって、好きって認めて、またあんなふうに傷つくのが怖いんだろ?



 でも俺は、お前が突然いなくなってしまうことが何より怖いんだ。
 俺はあれが別れだなんて思ってなかったから、お前がいきなり消息不明になって本当に混乱したし、
 彼女や婚約者がいるっていう情報だけが入ってきて、生殺しになってるみたいに苦しかった。






 だから俺はもう、お前を離さない。
 今はまだ、色気もへったくれもなくていいから、お前との未来の約束が欲しい。
 もう二度と、二度と、俺の傍から、最初からいなかったみたいに、消えてしまわないように。






「あ、そうだ。コーヒー飲んでかね?」
「いっいえ結構です」
「作家がこの間すごい迷惑かけたからって豆くれたんだけど。ちゃんとしたとこから仕入れた本物のブルーマウンテンだって」

 ブルーマウンテンと言えば高級の部類に入るコーヒー豆。
 しかもこれは本物っていう折り紙付きだ。
 お坊ちゃまな小野寺も、それには少し惹かれたようで。

「‥‥‥‥‥‥の、飲むだけですからね。飲んだらすぐ帰りますからね」
「はいはい。じゃあその辺の本でも読んでちょっと待ってろ」

 警戒心をむき出しにする様子に笑いながら、俺はまた台所へ向かう。
 昨日、仕事帰りにペアのマグカップを買ってきた。
 早速出番だぞ、と、真新しい俺と律用のカップに微笑んだ。







(うわあすっごいいい匂い!! おいしいーー!!)
(そのカップで飲んでるからだろ)
(‥‥‥‥‥‥‥あれ? 気のせいだとは思うんですが、高野さんが使ってるのと俺が使ってるのって‥‥‥‥)
(恋人なら当然ペアだろ)
(恋人じゃありません!!)
(一応ここが青いのが俺ので緑はお前のだけど、たまに交換しような)
(なっ嫌ですよそんなの!!)
(なんでだよ、間接キスくらい(言うなーーーー!!!)