明るい午後だった。
 もう三十分もすれば夕焼けに染まるだろう空は、まだ辛うじて青さを保っている。

 放課後。
 嵯峨は図書室のいつもの席で本を読んでいた。
 紙の白さが日光を鈍く照り返すので、字を追いにくい。
 自然と眉間に皺が寄り、目も細くなる。
 それでもカーテンを閉めないのは、そんなことをするのが勿体ないくらい、穏やかな天気だからで。







「せんぱい」







 この和やかさを壊さないよう気遣ったような、静かな声が耳に届く。
 大半が本と机で占められている視界の隅に、何かが映る。
 それはゆっくりとこちらに近づいてきた。

「ご一緒しても、いいですか?」
「‥‥‥‥‥‥好きにしたら」

 ありがとうございます。
 顔も上げずに返事をすれば、彼はそう呟いて、椅子に腰を下ろした。
 嵯峨の座る席の、斜め前。

 遠慮でもしているのか、この後輩は自分からは目の前に座ろうとしない。
 告白してきたのはそちらで、付き合ってもいいと返事をしたのだから、恋人同士であるはずなのに。
 実際、キスも、それ以上もしているのに。
 ストーカーで、何度も何度も好きだと言ってきて、その割に変なところで彼は距離を置こうとする。
 心地いいような、もどかしいような。
 そんな不思議な感覚が、今の嵯峨にはある。
 でも決して、不快ではない。



「‥‥‥‥‥‥」



 ちら、と、彼の様子を窺う。
 真っ先に目が行ったのは、色素の薄い髪。
 西日を吸い込むようにして輝くそれは、小さな風にも逆らわず、一本一本がさらさらと揺れる。
 一番特徴のある大きな瞳は、今は少し伏せられ、前髪の間から時折覗いている。

 細い手が鞄から本を取り出す。
 それに、嵯峨は見覚えがあった。



「‥‥‥‥‥‥それ」
「え?」
「またそれ読んでんの?」



 嵯峨自身は、それを読んだことはない。
 しかし彼がその背表紙を大事そうに持っているのは、何度か見たことがある。
 突然話しかけられたことに驚いたのか、今日初めて目が合った。
 そこにあるのは、最近見慣れてきた顔。
 わかっていたのに、心臓が軋む。
 ただ真正面からそれを突き合わせたのはほんの一瞬で、すぐ明後日の方を向いた彼は挙動不審になりながら、躊躇いがちに頷く。

「えと、‥‥‥‥はい。これ、好きなんで‥‥‥」
「面白い?」
「俺は、面白いです」
「ふーん」

 嵯峨は手を伸ばし、彼が開いたその本を、こちらに表紙が向くように立たせる。
 やはり、見たことしかない。

「返す時教えて。次、俺も読むから」
「えっ!? だ、だったら俺すぐ返してきますよ! もう何回も読んでるし‥‥‥!!」
「いや、いーよ。読み終わってからで」
「あ、じゃあ急いで読みますねっ!!」

 なんか違うんだよな、と嵯峨は思う。
 この後輩とは、タイミングというか、テンポが違う。
 いつも、なんとなく噛み合わない。

 それなのに、嫌な感じがしないのは何故だろう。
 足りないと、もっと一緒にいたいと、そう思ってしまうのは。



 彼は相当本に集中しているようで、嵯峨が見ていることに全く気付いていない。
 だがその意気込みをもってしても、まだ半分以上残っているその本を今日中に読み終わることは、多分ないだろう。
 嵯峨は手許に視線を戻し、ゆっくりとページを捲る。
 きりのいいところで切り上げて、また彼を家に呼ぼうか、なんて考えながら。






二人






(‥‥‥‥あれ? 高野さん、その本読まれるんですか?)
(ああ。高校の時、お前が読んでたから好きになった)
(え゛っ!?)
(‥‥‥‥‥‥覚えてねーの?)
(いや、俺もその本は好きですけど‥‥‥‥‥高校生の時、読んでましたっけ‥‥‥‥?)
(じゃあ思い出させてやるよ。体に)
(なぜそうなる!!?)