I Do.




 高野さん宅の玄関を開けると、見慣れない革靴があった。
 ああ、きっと横澤さんだ。
 ちょうどいい、杏ちゃんにもらったお土産、横澤さんにももらってもらおう。
 ハワイのチョコの詰め合わせもらったはいいけど、俺ヌガー苦手なんだよな。
 もらってくれる人がいれば無理して食べることないだろう。

「高野さーん? 横澤さん?」

 靴を脱ぎながら声を掛けてみるけど、返事はない。
 というか、やけに静かだ。
 リビングのドアは閉まってるけど電気ついているから、いないことはないはずなのに。
 おかしいな、と思いながら、軽いノブに手を掛ける。



「高野さん!」



「え?」
「うおっ!!?」











 がらがらがちゃぁあああん!!











 ぱっと二人が俺に目を向ける。
 同時に、なんかすごい音を立てて、その間にあった茶色いものが崩れ落ちた。



「あ゛ーーーーーー−!!!!」
「はい横澤お前の負けー」
「はああ゛!!? 今のはナシだろ!!」
「崩した方が負けなんだ。だからお前の負け」
「ふざけんな!! おいこら、お前名字が高野に変わったからって旦那の手助けしてんじゃねーぞ!!」



 結婚してないから俺は小野寺だしその人はまだ俺の旦那じゃねえ!!!



 言い返してやりたいのを俺はぐぐぐぐっと堪える。
 まずこの状況の説明をしてもらいたい。

「えーと‥‥‥‥お二人は何をなさってたんですか‥‥‥‥?」
「ジェンガ」
「はあ。で、横澤さんはなんでそんなマジになって怒ってるんですか‥‥‥‥?」
「負けた方は勝った方の言うこと聞くっていうルールだったからな」
「くっそ最悪‥‥‥‥‥‥」

 なるほど。
 ということは、俺がいきなり入ってきたために張り詰めていた空気が切れ、
 ちょうど順番が回ってまさに一本の板を抜こうとしていた横澤さんが失敗してしまったと。
 そして敗者である横澤さんは、勝者となった高野さんの言うことを聞かなければならないと。


「大変ですね。頑張ってください横澤さん。あ、ここに杏ちゃんからのお土産置いておきますので自棄チョコでもしてください。
 お邪魔しました」



 用事を済ませて帰ろうとすると、高野さんに腕を掴まれた。

「駄目。ここにいろ」
「なんでですか? 俺これ持って来ただけなんですけど」
「おい政宗、携帯勝手にいじるぞ」
「ああ」

 よくわからないまま、高野さんにずるずる引きずられて、一緒にソファに座らせられる。
 なんでこんなににやけてるんだろうこの人。怖い。

「なあ律、俺たちも以心伝心の夫婦らしくなってきたなぁ?」
「まだプロポーズされた覚えはありません」
「俺これからお前呼びに行かなきゃならなかったんだよ。なのに自分から来てくれるなんて、すげぇ嬉しい」

 あんたが嬉しいのは顔見てればわかるけど、人前だぞふざけんな。
 さりげなく腰に回ってきた手をぺしっと叩く。
 でも高野さんのにやにやは収まらなくて。

「おら、起動したぞ録画」
「もう撮ってるか?」
「いま押した」
「おう」
「‥‥‥‥‥‥あの、それが横澤さんの罰ゲームなんですか?」

 横澤さんはものすごく嫌そうな顔で、高野さんの携帯を俺たち二人に向けて構えている。
 ちょっと待て。なぜ撮る?























「俺が負けた場合の罰ゲームは、お前等のキスシーンを録画すること」























 それって俺が一番罰ゲームじゃないですか?














「今更だが政宗、こんなもん自分で撮ればいいだろ」
「挑戦はしたが、すっげぇぶれるし映ってたり映ってなかったりするし、何より律とのキスに集中できないから断念した」

 いつの間にやったんだコラ。しばくぞ。

「つか、これも録画してるけどいいのか?」
「ああ、じゃあそこまでで一旦保存しといてくれ。で、録画画面もっかい起動」
「へいへい」
「俺もう帰っていいですか」
「まだ何もしてないだろ」
「一体何する気だあんた!!」
「おら起動したぞー。さっさとキスしやがれ」

 いやちょっと待てよ。おかしいだろ。
 俺が高野さんの腕の中から逃げようと藻掻いてると、不意に頬を包まれる。
 つい、俺は目を合わせてしまった。
 どこまでも真剣な瞳に見据えられ、身動きが取れなくなる。







「律。病める時も健やかなる時も」
「誓います」
「俺も。愛してる、律」







 そのまま、キス。



 横澤さんいるのはそりゃあわかってますよ。
 さっさと帰りたいオーラを痛いほど感じます。ええホントに。

 でも普通のキスならなんとか許容範囲――――――――――



「ん、律‥‥‥」











 外だよ!!!!!!!!











「っちょ、高野さん!? は、離っ、んんぅ、ふっ」
「あーもー揺れるな‥‥‥‥。おい政宗、ソファに押し倒しちまえよ。撮りにくい。ぶれる」

 何を言い出すこの暴れグマァアアアアア!!!!
 素直に押し倒してんじゃねえよこの横暴編集長!!!!
 そして普通に舌受け入れてんじゃねえ俺えええええええ!!!!!

「んん、ぁふ、‥‥‥‥‥っは、んむ」

 いやもう、無理だ。
 思考が溶かされる。
 体の軸がどろどろになる。
 毎日のようにしてるけど、ここまで執拗で濃厚なのは初めてな気がする。
 息ほとんどさせてもらえないし、本気でトびそう‥‥‥‥











「っぷは、はぁ、は‥‥‥っっ」
「律‥‥‥‥」



 一体どれくらい、キスされっぱなしだったんだろう。
 ようやく解放された時には、俺は息も絶え絶えだった。
 高野さんは俺の口端から伝い落ちた唾液を舌で拭い、もう一度愛おしそうに触れるだけのキスをして、離れていく。

「やっと終わったな。ったく‥‥‥‥」
「ちゃんと全部撮っただろうな」
「後で好きなだけ確認しやがれ。保存するぞ」
「時間は?」
「5分21秒」
「チッ、10分いかなかったのか」

 アンタ俺を酸欠死させる気だな。

「じゃあな。俺は帰る」
「おう。またやろうな横澤。お前が勝ったら録画係は任されてやる」
「うるせぇ」

 断らないのかよ。
 俺が心の中で突っ込んでいるうちに、しっかり罰ゲームを終えた横澤さんは颯爽と帰って行った。
 高野さんはというと、自分の携帯を食い入るように見つめ、
 「パソコンに転送」とか「データ処理」とか「永久保存」とかぶつぶつ呟いている。

 やっと呼吸が落ち着いてきた俺がソファからのろのろ起き上がると、高野さんはすかさずこっちに来て隣に座った。
 ものすごくうきうきしてる。そりゃあもう気持ち悪いくらいに。

「横澤のヤツ、なんだかんだ言いながら最高の図を撮ってくれたぞ。見るか?」
「いえ結構です‥‥‥‥」
「ちゃんとアップとかしてるから、たまにお前の舌とか映ってエロ
「携帯折られたくなかったら黙ってください」
「大丈夫、もうカードにも保存済みだから」

 くっそコイツ!! 用意周到にも程があるだろ!!
 という俺の心が非難の視線にも滲み出ていたのか、高野さんが俺の頭を撫でてきた。



















「俺たちの、一番最初の誓いのキスだからな。とっとくしかないだろ?」



















 この人何回誓う気なんだろうとか、もうそういうのはどうでもいい。
 高野さんのここまで満たされた表情は、そうそうお目にかかるものじゃない。
 だから、それだけ大事に思ってくれて、大事にしてくれるんだなぁって思ったら、  俺も高野さんの幸せが伝染したみたいに幸せになる。


「高野さん‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥律」



 って、え?



「いや待て!!!! 早まるな!!!!」
「新妻にキスすることの何が『早まるな』なわけ?」
「お、俺まだ酸欠なんですよ、もうちょっと空気を吸わせてください!!!」
「俺が口移ししてやる」
「人間の吐く息のほとんどは二酸化炭素だって習っただろ!!!」
「じゃあ人工呼吸」
「俺の意識ははっきりしてます!!!」
「それなら朦朧とさせてやるよ」
「アンタ言ってること無茶苦茶‥‥‥‥んっ!! ちょ、たか、んんぅ‥‥‥‥っっ」







 ああ、お父さん。お母さん。杏ちゃん。エメ編の皆さん。
 俺が死んだら真っ先にこの人を疑ってください。まず間違いありませんから。



















 翌日。
 編集部は、というより丸川書店は、もうすごいことになっていた。
 出社すると受付嬢に始まりすれ違う女性編集の方々が、
 揃いも揃ってハートと星がきらきら飛び交った顔で、俺に熱い視線を送ってきて。
 男性編集の方々は悟りきった表情で「おはよう、ていうかおめでとう」と言ってきて。
 やっとの思いでエメ編に辿り着くなり、今度は先輩達に取り囲まれた。

「律っちゃん!! ちょっとどういうこと!!?」
「水くさいぞ、俺たちに言わないなんて」
「そうだよ。チェーンメールで動画送りつける前に一言言ってよ」
「まあ吉川千春がかなり刺激されたみたいで、いつも以上に仕事はかどってるし、そこは感謝してるが‥‥‥‥」
「まあ実際、結構刺激強かったもんね。いや〜さすが高野さん、我らが編集長って感じ!!」
「すごく綺麗に撮れてたよねぇ。小野寺くん、あれ横澤さんが撮ったってホント?」
「ええっそーなの!? うわーーいいなぁ、俺も生で見たかったーーー!!」
「結婚式で見られるだろ」
「あっそっか!! じゃあ一刻も早く式上げてもらわないと!! 場所とかどーする?」


 あの、一瞬でいいから、俺に口を挟ませる間をもらえませんか?


「あっいたいたー七光り!!」
「井坂さん!! 動画見ました!?」
「あー見た見た。なんかあれ、すごい勢いで出回ってるらしいじゃん。
 丸川に全然関係ない友達にも回ってたらしくて。その子は知り合いの女友達全員に送ったって」
「すごいね小野寺くん、一気に有名人だよ」
「二人の仲が完全に公然のものになったな」
「まあ高野さんは最初からそれ狙ってたんだろーけどね」

「あれ? そんでダーリンはどこよ?」
「作家さんのところへ寄ってから来るそうで。びっくりするだろうなー高野さん」
「にやにや喜ぶの間違いだろう」
「うん、完全に思惑通りだろうからね」
「にしても井坂さん、どうしてエメ編に?」
「ああそうだ、こいつらの式場確保してやったから、その報告に」
「えっ早っ!! さすが!!」
「一流のウエディングプランナーも用意してあるから。明日早引きして高野と二人で式次第とか相談してこい」
「すっごいなー、ねえ俺たち何着てく!?」
「その前に小野寺くんのドレス選びじゃない?」
「いや、それは高野さんが独断でやるだろうから‥‥‥‥」







 両親から「律!! 結婚するならどうして先に一言言わないの!! 今すぐ相手の方連れていらっしゃい!!」という電話がかかってくるのは、
 それから30分後のことです。