8.おえと




 居酒屋を出ると、真っ先に視界に飛び込んで生きたのは律だった。







 思わず足を止め、まさかと思い目を瞬かせる。
 が、ぴょこぴょことこっちに寄ってくるのは、やっぱり律だ。今更見間違えるわけもない。

 時刻は23時前後。
 人間に化けた状態。



「おかえり」



 にこっと咲うそいつは、ずっと一緒に過ごしてるっていうのに一歳どころか一秒も年を取っていないかのようだ。
 猫の時も相変わらず子猫だし。
 でもその間に俺は「嵯峨政宗」から「高野政宗」になり、身長を抜かし、大学を卒業し、社会人になり、27歳になった。
 出版社に入って、部下も出来て、こうして飲み会で帰りが遅くなることもあるわけだけど‥‥‥‥‥‥
 迎えに来たことなんか一回もなかったのに。
 ていうかなんで場所わかったんだ? 教えて‥‥‥‥‥‥ないよな、言ったってどこだかよくわかんねーだろうし。
 そしてどうやってここまで来たんだろう。
 猫のままでってことはないだろう。猫から人間になると裸だし。でも今は自分の服着てる。
 てことは、電車‥‥‥‥‥?
 まあ乗れなくはないだろうけど‥‥‥‥‥



「ただいま‥‥‥‥‥ってか、お前なんで」
「え? お迎え」
「どうやって来た?」
「歩きで」



 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥まさかの移動手段だ。
 確かに一番安易ではあるけど。
 でも家からここまで電車で15分はかかるはず。その距離を徒歩だと、結構大変じゃないだろうか。
 その時会計(半分くらい俺が出したけど)を終えた部下三人が遅れて出てきた。
 いい感じに酔っているのもあってか、俺と寄り添うように立っている律を見て木佐が「あれー? 高野さんのお知り合いですかー?」と気軽に聞いてくる。




「あー、知り合いっつーか‥‥‥‥‥嫁?」
「え、お嫁さんーーー!!? 俺様横暴敏腕へんしゅーちょーの!!?」
「なるほど、道理で女性達に言い寄られてもとりつく島もないわけだ。非情なくらいすげないもんね」
「初めまして、高野さんの部下の羽鳥といいます。こっちが木佐、あっちが美濃です」



 わかってたつもりだったけど、こいつらの順応力の高さというか、ノリの良さって半端ないな‥‥‥‥‥。
 俺が舌を巻いている間、律も律で「初めまして。いつも政宗がお世話になってます」と頭を下げる。
 どこでそんな挨拶覚えたんだ、本か? ドラマか?
 律は昼間は猫だし、夜化けた後で出かけるなんてこともそうはないから、俺以外と人間対人間の関わり合いをした経験が少ない。
 休みの前日だったら、たまにドライブに連れ出したりファミレス入ったり、宅呑みしようってなったら一緒にコンビニ行ったりもするけど、それくらい。
 まあ俺が店員とするやりとりを見て律も普通に喋ってるから、人見知りではないはずだ。
 でもこういう対等な感じの時も、そつなく会話できるとは思わなかった。
 さすが、何百年も生きてるだけあるな。



「律さんは、旦那さんのお迎えに来られたんですか?」
「はい」
「いやーらぶらぶーーvVvV」
「ホントにねぇ」
「あ、あと、皆さんにご挨拶したくて」



 ‥‥‥‥‥‥‥ん?
 ご挨拶?











「政宗が、なんだか楽しそうだったので。いろんなことに冷めてる人ですから、どんな人たちが一緒にいるのかなって、気になったんです。

 ‥‥‥‥‥これからも、よろしくお願いしますね」











 ぺこ、と頭を下げる律は、完全に俺の嫁さんだった。
 それを見て、木佐や美濃がぷるぷる震えている。



「な‥‥‥‥‥っなんておしとやかで旦那さん想いのいい子!!! 愛されてる‥‥‥‥っ!!!」
「そうだねぇ。高野さんにはもったいない」
「何か言ったか美濃」
「あっ律っちゃん、エメ編は愛妻弁当の持ち込み可だからねっ!!! 高野さんが忘れた時にでも是非!!!」
「こいつは料理できねーよ」
「高野さん、何焦ってるんですか」
「男の嫉妬は見苦しいですよー」
「いくらお嫁さん可愛いからって」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥帰るぞ律」
「あ、うん。それじゃあ、お疲れ様でした。さよなら」
「「またね」」
「今度是非五人で呑みましょう」



 羽鳥まで何言ってやがる‥‥‥‥‥。
 ヤツらのテンションの高さにげんなりしながら、俺はにこにこと愛想良く手を振る律を引っ張って駅へ向かった。























「いい人達だね、政宗」



 この十年で何一つ変わらない、律。
 外見はどんなに年上に見積もっても、やっぱりせいぜい25くらいだ。
 今百人に聞いたら全員が、俺の方が年上だと答えるだろう。
 ぽやんとした笑みにはあどけなさすら垣間見える。
 最早呆れるしかない。



「なんで来たんだよ」
「お迎えだってば」
「猫ならまだしも、人間の状態で夜中に出歩くな。危ないだろ」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないから言ってんだよ」



 長らくずっと一緒にいて、律は基本的にずっと家にいたから、こいつの世界は俺だけで構成されていると思っていた。
 もちろん錯覚だってわかっちゃいるけど、十年もそんな生活してたわけだし。
 だから急に一人で迎えに来て、しかもエメ編部員にも会ったという事実は、あいつらがからかい半分で指摘していたように俺を焦らせていた。
 つい口調も刺々しくなってしまう。
 でも年の功というかなんというか、律は大して堪えてないようだった。



「電車乗ろうかとも思ったけど、政宗がどこにいるかは方向しかわかんなかったから。乗り換えとかもさっぱりだし、だったら歩いた方が早いかなって」
「なんで俺があそこにいるってわかったんだよ」
「わかるよ? 政宗がいるところはわかる。方向だけならね」





























 ―――――――――――――だって、俺の帰る場所、だから。





























 その台詞が、俺のセピアがかった記憶を揺り動かす。
 そういえばまだ高校生の時、律がずっと棲んでいた山に行ったことがあった。
 山の名前とか具体的な場所とかはわからないけど、方向だけならわかるんだと言っていた。



 ずっといた場所だから。



 だから俺は律方位磁石を頼りに、一緒にその山へ向かったんだ。
 電車が通っているかもわからないから、そんなに遠くないっていう律の言葉を信じて、自転車で。

 車も免許も持ってなかった昔の話だ。
 でもあの時は、律の帰る場所はこの山だって認識されていることを知って、ほんの少し悔しかった。
 そしていつか、律がどこにいても、俺の住んでいたあの家に帰れるようになればいいと思った。







 本当にわかるようになったんだ。

 とっくに引っ越したあの家、ではないけれど。





























 俺がいる場所を、俺自身を、こいつは、自分が帰る場所だって思ってくれてるんだ。





























 腕を掴む指の筋肉が収縮して、無意識に力が入る。
 猫らしくするりとそこから逃げた律は、その手を一方的な拘束から繋ぐ形に直した。
 やさしく握りしめられて、肩の力が抜ける。
 やっぱりこいつの方が年上だ。
 俺はいつまで経っても余裕がないガキのまま。
 でも横を見やると、さらさら揺れる色の薄い前髪の隙間、ゆるく細められた瞳は何やら楽しそうで。
 まあいいか、なんて。



「帰りは電車な」
「ん」
「エメ編でやる飲み会は大体あそこだから。もしまた迎えに来るなら、電車で来い」
「はいはい」



 上から目線で、部下に対して言うみたいな態度を取ってみたら、けらけらと律が笑う。
 その後「俺もお酒飲みたいなぁ」なんて呟くから、今度あの居酒屋にもつれてってやろうと決めつつ、
 今家につまみになりそうなもんあったっけなと我が家の冷蔵庫に思いを馳せた。