Ready!!!




「ちょっと、どういうこと!? 何よ、誰なのあの子!!」
「俺の子供だよ」
「子供がいるなんて一言も言ってなかったじゃない!!」
「いいだろ、君にだっているんだし。年も政宗くんと近い」
「そういう問題じゃないでしょう!! 奥さんがいたのは知ってるけど、子供なんて初耳よ!!」







「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」







 リビングで言い争いが聞こえる中、玄関に佇む俺たちの間をなんともいえない沈黙が流れる。
 愛想笑いを浮かべるのは、見るからに俺より年下の男。
 話からして、どうやら、俺の義兄弟になるヤツらしかった。
 この家の主の息子。
 俺は連れ子だけど、居候も同然。
 ということは、俺の方が立ち位置的には下だ。















「えっと、‥‥‥‥‥‥よろしく、お願いします。小野寺律です」















 ぴょこんと頭を下げるそいつ。
 俺はどう名乗ればいいかわからなかったけど、とりあえず「高野政宗」と言っておく。
 同じ名字で挨拶するのも変な感じだし。



「部屋、二階なので。案内します。荷物持ちますよ」
「悪い」



 二つ持っていた鞄のうち、軽い方を預けて、リビングを素通りして上へ。
 階段を上がり、右側の部屋へ入る。
 換気のためか窓が開いてるそこは、殺風景だけど、つい最近まで人が住んでいた気配。
 かなり長い間使っていたとおぼしき机や本棚やベッドは、あまりに部屋に馴染んで。



「‥‥‥‥なあ」
「はい」
「ここって、もしかしてお前の部屋?」



 聞いてみると、そいつは元から大きい目を更に大きくした。



「え? な、なんでですか?」
「いや、なんとなく‥‥‥‥」
「あー‥‥‥‥実はそう、なんです。すみません、使い掛けの机とかで。あっでもベッドは骨組み以外新しいやつなんで!!」
「お前の部屋は」
「向かいです。その、そっちは‥‥‥‥‥元は、俺の母親の部屋で」



 どっちの部屋にするのも失礼だと思ったんですけど、とそいつ―――――律は、恐縮しきった様子で言う。
 ‥‥‥‥‥‥まあ確かに、再婚相手の子供が、前妻の部屋に住むってのは微妙か。
 それなら義兄弟になるヤツの部屋の方がマシかもな。
 でも荷物とか全部移動させるの面倒だったはずなのに、いろいろ考えてそこまでしてくれたっていうのは、少し驚きだった。
 そんな必要ないのに。



「‥‥‥‥‥悪ぃな、気使わせて」
「え? あっいえ、そんな‥‥‥‥‥ていうかすみません、俺が使ってた家具で」
「全然」



 ていうか、このでかい本棚気に入った。
 そのうち嵩張るものと一緒に大量の本が届く。
 もしかして全部入るんじゃないか、なんて考えてるうちに、タイミング良くチャイムの音がした。
 元々ここの住人である律が「はーい」と言いながら階段を下りていき、届いたのが俺と母親の荷物だとわかってるから俺も付いていく。
 待ち受けていたのは、予想通り大量の段ボール。
 律がその量に辟易しながら次々受け取って玄関に積み上げ、俺は自分のと母親のを分けていく。

 その時、不意に声を掛けられた。











「政宗くん、律。ちょっと来てくれ」











 俺の父親になる人。
 言い合いは済んだんだろうか。
 その声からはとげとげしさを感じ取れて、正直あんまり近づきたくなかったが、仕方なく手を休めてリビングへ向かう。

 少し疲れたような顔で、腕組みをして立っている初対面の男。
 それに対して俺の母親は不機嫌さを隠そうともせず、離れたソファに腰を下ろしている。
 おいおい、再婚初日でこの距離感は大丈夫なのか。
 つい呆れていると、新しい父親が口を開いた。











「改めまして、よろしく政宗くん。今日からここが君の家だからね」
「‥‥‥‥‥‥はい」











 既に終わりが見えているような気がするんですけど、とは言わないでおく。











「政宗くんは高三で合ってるよね? 学校の方はもう手続き済んでるから。律と同じ学校だよ」
「そうなんですか」
「律、そういうわけだから頼んだよ。通学路とかこの辺のこととか、いろいろ教えてあげて」
「あ、うん」



 受領印を押してきたらしい律が遅れて入って来る。
 これで新しい小野寺家の人間が揃ったわけだ。
 でも母親が律をすごい勢いで睨みつけてる。
 それを受けてどんな表情してるのか、興味本位でちらりと見てると、作り笑いしてた。
 偽物だってわかるのは、俺がそういうの大嫌いだからだろう。
 でもその内側、こいつと俺の心境は、多分大して変わらないはずで。
 俺は自分の感情を無視した無表情、こいつは当たり障りない笑顔で、その場をやり過ごす。

 嫌いなタイプだけど、不思議と拒絶は感じなかった。





















「あ、」







 顔を上げると、そいつがいた。



「ごっごめんなさい、待たせちゃって」
「いや、全然」



 この学校いいかもしれない。
 図書室がでかいから。
 俺が好きな、結構マイナーな本を発見して柄にもなく浮かれてしまい、多少待たされたこともまるで気にならなかった。
 手始めに何冊か借りて、律についてそこを出る。
 俺たちは、これからとりあえず一緒に登下校することにした。
 どうせ同じ家から出て同じ家に帰るわけだから。
 まあ、昨日初めて会っての今日だし、沈黙が多めだけど。
 俺はそういうの気にしないけど、律はそうでもないらしかった。
 朝同様、なんだかんだと話しかけてくる。



「あっあの、本、好きなんですか?」
「あ? ああ」
「どういうの読むんですか?」
「なんでも読む。最近は宇佐見秋彦とか」
「その人俺も好きです!! 面白いですよねっ」



 愛想笑いとか八方美人な印象からして、どうせ話を合わせてるだけだろうと思った。
 でも、どうやら違うようで。
 賞を取ったやつとか有名どころだけじゃなく、あんまり取り上げられないようなのも知ってて正直驚いた。



「詳しいな」
「父親が出版社の社長ですから。小さい頃から本に囲まれて育って。
 でも漫画とかは読んだことなくて、そのせいで同級生と盛り上がれないこと多いんですけど」











 こういう話できて、嬉しいです。











 呟くように言ってはにかむ。
 初めて見たそいつのごく自然な笑みは、何事も甘受できるオトナを装った俺には、少し毒なくらいだった。
 こいつは八方美人とかじゃない。
 多分、ただ、ひどく素直で純粋で。
 俺が随分昔に失くしてしまったものを、こいつは見失わずにしっかり持っている。



















 羨ましいと、思えた。



















「‥‥‥‥‥あのさ。敬語、使わなくていーんだけど」
「えっ?」
「一応兄弟になったわけだし。俺のことも適当に呼んでいいし」



 もちろん気付いてた。
 俺をなんで呼べばいいか困ってること。
 俺だって元々一人っ子だから兄弟なんて初めて出来たし、しかも昨日まで完全に赤の他人だったわけで、困惑は拭いきれないけど。
 こいつならいいか、と思った。



 授業が終わってから随分経ち、かといって部活が終わるには早すぎる。
 朝はどこを見ても同じ制服が同じ方向へ流れていくのが気持ち悪かったけど、
 今ここを通ってるのは犬の散歩をしている近所の住人とか、公園かどこかへ遊びに行くらしい小学生くらい。
 行きは仕方ないにしても、帰りはこの時間帯にしようと決めた時。







 突然。





















 声が、した。





























「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥っ、お、お兄ちゃん!!!!」





























 あまりの大音量にぎょっとして振り向く。
 俺だけじゃない、ちらほらだけど住宅街を歩いていた人も、そっちを見た。

 その先には、律。

 なんでかかなり離れたところにいる。
 もしかしなくても、「適当に呼んでいいから」って言ってからずっと、なんで呼ぶかその場に一人立ち尽くして考えてたんだろうか。
 ほんの何秒かだけど複数の視線を集めてしまった律は、俺を凝視したまま、みるみる頬を赤くしていく。

 なんだこいつ。
 面白すぎるだろ。
 ていうかお兄ちゃんって。いや、俺のが年上だし、そうなんだろうけどさ。

 俺は無意識に笑ってしまいながら、
 固まっているそいつを、真っ直ぐに呼んだ。





























「おいで、律」





























 手を差し出したことに、特に意味はなかったはずで。
 でもぱたぱた走ってきた律にそれをぎゅっと握りしめられて、嬉しそうに咲われたら、途端に気持ちが凪いだ。
 四六時中、やりきれなさや苛立ちでざわざわしていたのに。
 それが日常だったのに。

 こんな感覚、どれくらいぶりだろう。



「なあ、」
「はっはい!!」
「‥‥‥‥‥敬語」
「あ、ごめんなさ‥‥‥‥‥えっと、ごめ、ん」











 なんだろうな、この感じ。











「お前の父親‥‥‥‥‥って言い方もおかしいけど、帰り遅いか?」
「えっ? えっと、うん。帰って来ないことも結構あるし」
「そっか、うちと一緒だな。じゃあ夕飯は俺たちだけだな。とりあえずこの辺スーパーとかない?」
「あるけど‥‥‥‥お兄ちゃん、ご飯作れるの?」
「まあそれなりに」
「えっすごーい!!」



 なんでそんな賞賛の眼差し?
 ああ、作れないんだなきっと。なんか育ち良さそうで不器用そうだしな。
 冷蔵庫がほぼ空なのも頷ける。







「今まで自分のためだけに作ってたから、味の保証はしないけど。何か食べたいもんある?」
「あ、えっと、えっとね、きんぴらごぼう!! あとナメコのお味噌汁と、ご飯と」
「ぶっ、」







 なんでサイドから攻めてくんだよ。
 普通主菜だろ。

 少々焦りつつも至って真剣な律の様子に、俺は堪えきれずに噴き出してしまった。
 やべー、何こいつ。
 なんかツボだ。



 夕暮れ時の住宅街、男子高校生二人が手を繋いで、片方は肩を震わせて大笑い、片方はきょとんとしてるこの状況。
 傍から見ればいろいろとおかしく見えるんだろうけど。
 華奢だけど女の子とは違う骨張った手が、控えめに握り返されるその力が、愛しくて。
 離されるまで離したくないなと思った。
 付き合ってた子と手繋いだ時は、客観的には不自然じゃなかったんだろうけど、俺としては今の方がよっぽど自然だった。



「あー、腹痛ぇ‥‥‥‥」
「えっと‥‥‥‥‥大丈夫? ていうかなんで笑ってたの?」
「お前はわかんなくていーよ。そのままでいい」
「‥‥‥‥‥‥? うん」



 素直に頷く律。
 こんな高校生絶滅危惧種じゃないだろうか。



「とりあえずスーパー行こう。あと今更だけど、これからよろしくな、律」
「うん!! こちらこそよろしくね、お兄ちゃんっ」















 新しい世界が開けるような。















 重い扉が動く音が、確かに、聞こえた。