「小野寺」
「‥‥‥‥‥ぅー」
「そろそろ起きろ。風呂入ってこい」
毛布越しに掴んだ肩を揺さぶると、小野寺は呻って身じろぎする。
なんだかむずかる子供のようで、可愛くてつい頬がゆるんだ。
相も変わらず素直じゃないし好きって言わないけど、いくらこいつでも寝てる時は無防備だ。
俺はまじまじと小野寺を覗き込む。
「‥‥‥‥‥‥懐かしい、な」
“律”と同じ寝顔。
でも俺はこいつに“律”の残像を求めてるわけじゃない。
確かに大事だったし、好きだった気持ちに嘘はないけど。
時は流れた。
そして今の俺が好きだと思うのは、隣人であり部下でもある”小野寺律”。
「でもまあ、十年経っても同一人物は同一人物だな」
色素の薄い髪はやはりさらさらで指通りがいい。
その感触を楽しんでいると、ふるりと睫毛が震え、ゆっくり瞼が持ち上がる。
あ、刷り込み。
「おはよう」
自分でも驚くくらい、やさしい声が出た。
顔もかなりゆるんでる自覚がある。
小野寺は夢から覚めきらないのか、ぱちぱちと瞬きを繰り返して、それがまた可愛い。
ついにやにやしながら様子を見てると、不意に目が合って。
「ぎっぎゃああああああああ!!!!!」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥覚醒した。
「うるせーよ」
「へっ!? な、え、ちょ‥‥‥‥‥なに、なんで、なんであんたが!!!」
「昨日は酒飲んでねーから覚えてるだろ」
ここは俺の部屋。
まあ端的に言ってしまえば、俺が一緒に帰ってきた小野寺を連れ込んだってだけの話だ。
やっと思い出してきたらしく、小野寺はどんどん頬を朱に染めていく。
気まずかったのか視線を逸らすが、不意にそれが大きく見開かれて止まった。
どこかを、いや、俺を見てる。
正確には上半身を。
そういやシャワー浴びたはいいけど上着てなかった、と今更のように俺は気付いた、のだが。
突然。
小野寺の顔が、爆発でもしたみたいに、一気に赤くなった。
「おおおおおおお邪魔しましたーーーーーーー!!!!」
俺が目を瞠ってる間に、神業級の速度でその辺に散らばってる自分の服を着た小野寺は、
転がるように―――――というか文字通り転びながら、部屋から逃げていった。
大丈夫かよ腰。
なんとも向こう見ずな行動に呆れる。
それにしても、あれは珍しかった。
高校の時ならまだしも、再会して以降こういう状況で朝を迎えると、いつも真っ青になるのに。
なんで今日に限って赤?
些細な疑問の答えは、ふと目に入った姿見の中にあった。
「これって‥‥‥‥‥」
初めて見るわけでもないのに、でもさすがの俺も驚いて、つい触って確かめる。
右の鎖骨の下に、小さな紅。
虫刺され、じゃない。
ということは、
―――――――――キスマーク?
「‥‥‥‥‥‥‥‥あー、」
いつ付けられたんだろう。と言っても、そりゃあ昨日の情事中だろうけど。
全然気付かなかった。
でもこれならあの反応も納得がいく。
あいつにキスマークつけられるのは、これが初めてだ。
昔はそんな知識とかなさそうだったし、今は付き合ってるわけでもなくて、俺がほとんど一方的に迫って愛して。
これは、いい兆候、だよな?
認められないだけで、俺のこと独占したいって、ちゃんと思ってるんだな?
お前の一方通行も、俺の一方通行も、きっともうすぐ終わるんだな。
俺の視線の先には、小野寺の鞄。
きっと鍵もこの中だろうから、あいつはまたすぐここに戻ってくる。
そのまま返すつもりだったけど、やめた。
案の定、仏頂面の小野寺はすぐ戻ってきた。
「ほら」
忘れ物を差し出すと、聞こえないくらい小さい声で礼を言って、ごそごそ中を漁り始める。
コーヒー用のお湯を沸かしてシャツを着ながら、俺はついついそっちに意識が行く。
鞄をひっくり返す勢いで引っかき回していた手が、ぴたりと止まったのがわかった。
「‥‥‥‥‥‥‥高野さん」
「なに」
「鍵、返してください」
「やだね」
子供じみてるとわかってる。
でも俺は楽しくて、嬉しくてたまらない。
俺を睨みつけてくる小野寺の瞳に、僅かに困惑が混ざってるのがわかって、自然に笑みが浮かんだ。
「お前の家の鍵はこの部屋のどこかにある。お前はそれを見つけるまで帰れない、つまり俺の部屋に泊まるしかない」
「‥‥‥‥‥‥‥‥なっ!!?」
「どうぞ、気が済むまでお探しください?」
さあ、カウントダウンだ。
それが10から始まるのか、既に3まで来てるのか、それともまだまだ100近いのか、俺にはわからないけど。
ほら、律。
もう怖がる必要なんかないから。
ここまでおいで?
俺は両手を広げてお前を待ちわびてるよ