律が図書室に来なくなったのは、師走に入ってからだった。
 いつもならもうとっくに来てる時間なのに。

 テスト習慣が近づいてるから、普段バイトや部活に明け暮れてる生徒たちが勉強のために図書室に来てて、
 いつも静かな空間は人の気配とひそひそ話で溢れてて気持ち悪い。
 そして俺の右斜め前のいつもあいつがいる席には、知らない女子生徒が座ってる。


 なんでだろう。

 こんなにたくさん人間がいるのに、なんであいつがいないんだろう。

 あいつ一人いないだけで、なんでこんなに、俺は平静じゃいられないんだろう。


 待ってれば来るかもしれないから、本を読みながら待つ。











 そんな日を繰り返して。















 なんだかんだ、もう二、三週間会ってない。
 柄にもなく、俺は焦っていた。



 今日は12月25日、月曜日。



 終業式。



 明日から二週間くらい冬休みだ。

 律は携帯持ってないし、連絡手段はない。
 一体どうしたんだ、あいつは。
 ここであいつの視線を浴びるようになってから四年近く。
 毎日毎日足繁く来てたくせに、なんで急に。
 転校‥‥‥‥‥‥‥‥いや、ないか。
 でもあいつとは学年違うし共通の知り合いとかもいないから、もしそうだとしても俺がそれを知る術はない。
 こんなこと初めてで、俺は正直、不安を抑えられなくなってた。
 だからってどうすることもできない。

 静けさを取り戻した、だんまりの本たちが並ぶ時間に忘れ去られたような場所。
 俺はどかりといつもの席に腰を下ろし、ぼんやりとクリスマスの空を眺める。
 本を読もうとしてもどうせ集中できないとわかってるから、もう鞄から出しもしない。
 ここに来る目的が、いつの間にか変わってることに、俺は気付いてなかった。







 がらりとドアの開く音がする度、俺は期待する。
 それから無感情に戻る。
 そんなことを何回か繰り返して。
 また、がらりと音がした。



「まだ残ってたの? もう図書室閉めるわよ」



 俺に目を留めてそう宣告してきたのは司書の先生だった。
 そうか、今日は終業式だから、すぐ生徒を追い出してしまうんだった。
 落胆を隠せないまま、立ち上がって。











 がらり。















「あら、今日は人が多い日ね。でももう閉めるわよ。本の返却?」
「あ、いえ、違います。ちょっと、人を捜しに――――――」
「男の子一人しかいないけど、その子かしら?」















 俺が椅子を倒す勢いで立ち上がるのと、そいつが書架の間からひょこっと顔を出したのは、同時だった。





























「あ、先輩っ」





























 途端に朱に染まる頬、どこか恥ずかしそうな笑み。
 不本意ながらあんなにいろいろ考えたのに、あんまりにいつも通りすぎて、脱力する。



「あら見つかったの? よかったわね。じゃあほら、さっさと帰りなさい」
「あ、はい。すみませんっ」



 こうして俺たちは、追い出されるような形で一緒に学校を出た。













 やけに久しぶりに会ったような気がする律は、何か企んでる雰囲気だった。
 こいつは素直すぎるというかなんというか、とにかく隠し事が出来るタイプじゃない。
 とりあえずさっきからタイミングか何かを覗って、ちらちらこっちに視線が向けられてるのを背中にばしばし感じる。
 でもいくらわかりやすくても、さすがにその思考回路までは読めない。
 言いたいことがあるなら言えって急かすのも気が引けるし、というかそもそもこいつになんて声を掛ければいいのかわからない。

 ずっと図書室に来なかった理由は何。

 次会ったら真っ先に聞きたいと思ってたけど、聞いていいんだろうか。
 何かダメージを受けそうな返答だったら困る。

 ‥‥‥‥‥‥‥って、気持ち悪‥‥‥‥‥何考えてんだ俺。
 虫唾が走りそうになった、その時。























「っあ、あの、先輩‥‥‥‥‥っっ」























 意を決したような声が、して。
 俺はほとんど反射的に振り返っていた。
 いつも俺の数歩後ろを歩いてる律は、何故か倍以上離れたところにいる。
 立ち止まったのに気付かなかった。
 俺は少し戻って、そいつの前に立つ。
 今さっきのでかい声が嘘だったみたいに、律は逃げ腰になりながら、視線をアスファルトの上で泳がせて何やらうーうー呻っている。







「律?」







 さすがに焦れて名前を呼んだ。
 そしたらちらっと俺を見上げて、観念したみたいに姿勢を正すと、自分の鞄をごそごそ漁り始めた。


 差し出された、もの。





























「え、っと、‥‥‥‥‥‥‥‥お誕生日、おめでとう‥‥‥‥ございました?」





























 微妙におかしい日本語。その自覚があるんだろう、疑問系だ。
 でも言いたいことはわかった。
 この、包装紙にくるまれてご丁寧にリボンまで付いてる、明らかにプレゼントだろう物を差し出された意味も。
 ていうか、何も住宅街の真ん中で渡してくれなくてもいーだろうに。
 家まであと五分もないって知ってんだろ。
 いや‥‥‥‥‥来る予定じゃないか。誘ってないしな。



 その時俺は、一ヶ月くらい前、律が現れなくなる前の会話とも呼べないような会話を思い出した。

 なんの脈絡もなく、律が俺に、先輩何か欲しいものとかないですかって聞いてきて。
 俺はまあちょっと考えたけど、何も浮かんで来なかったから別にないって答えた。

 それだけ、だったんだけど。





「‥‥‥‥‥これ、開けてい?」
「あっはい、どうぞ!!!」





 こいつが俺へのプレゼントに何をチョイスしたのか、すげー興味ある。
 律はいかにも気に入ってもらえるか不安ですっていう顔してるし。
 贈ってくれた本人が居る手前包装紙をびりびりにするわけにもいかず、俺は歯がゆさを覚えながらも丁寧にそれを剥がしていく。
 重さや形からして、本だろうとは思ってたけど。











「‥‥‥‥‥マジか」











 つい、そんな間抜けな台詞が漏れた。
 だってこの本、とっくの昔に絶版になったやつなのに。
 まさかどこかの図書館からかっぱらって来たんじゃねーだろうなといろいろ検査してみるけど、当然そんな痕跡はなくて。
 しかも、古本ですらない。



「‥‥‥‥‥‥‥‥お前これ、どうやって手に入れたんだよ」
「父が出版社やってるので、顔見知りの人たちに聞き回ったんです。そしたらたまたま、真っ新なの持ってるよって人がいて」
「よくくれたな」
「仕事手伝ってくれたらあげるって言われたから、編集部の雑用みたいな感じで、22日までバイトしてたんです。
 あ、その人、文芸の編集さんで」



 告げられた雑誌名は、俺もよく知ってるやつ。
 そんなとこでバイトとはいえ働いてたのか。コネってすげー。
 微妙に的外れなことを考えてる俺に、律は恐縮しきった様子で謝ってきた。













「ご、ごめんなさい、遅くなって。ホントは昨日、先輩の家まで届けに行くつもりだったんですけど、
 連絡もなしにいきなり行くの失礼だし、もし誰かいて邪魔しちゃったらって思ったら行けなくて‥‥‥‥‥」













 俺は小さくなってる律を眺める。
 俺が欲しいものなんかないって言ったから、こいつはずっとアンテナを張ってたんだろう。
 確かに、この本は欲しかった。
 また借りたいと思ったタイミングで誰かに借りられてしまってて、自分用に欲しいなと呟いたのは事実。



 でもまさか、ここまでして手に入れてくれるなんて。



 そのせいで、こいつに何週間も会えなかったなんて。



 誕生日に一人だったことなんか珍しくもないけど、それでも、俺は、お前が。







 今年はお前が、いてくれるんだと、当たり前のように思ってた。







 女々しすぎて普通なら言えるはずがないのに、俺の口は勝手に動いていた。







「律」
「は、はいっ」
「ありがとな、本。でも俺あったわ、これより欲しいもの」
「えっ、な、なんですか!?」







 珍しく、律が俺を真正面から見てくる。
 俺に出来ることならなんでもしますっていう目。
 ああ、もうちょっと歩けば家なのに、なんでこんなとこでこんなことしてんだろう。
 でも最早、そんなことどうでもよかった。

 俺は手を伸ばして、無防備な律を抱き寄せて、伝えた。



















「お前が全部欲しい」











とりあえず日離さねーから