中毒




 疲れていた、本当に。
 俺の部屋は、どっかの上司の部屋とは別世界みたいに、相も変わらず混沌としている。
 でもその惨状を見渡す元気も、ましてや明日にはなんとかしなきゃなんて危機感を抱く余力すらない。
 なんとか三日ぶりのお風呂に入ったけど、出た頃には完全に睡眠欲が臨界点を突破していて。
 もう後は泥のように眠るだけ‥‥‥‥‥と、ベッドに倒れ込んで意識を手放した。







 そう、そこまではよかったんだ。そこまでは。



















「ぐえっ!!?」











 寝ている時なんて警戒心もへったくれもないわけで。
 俯せになっていた体の上にいきなり何かが圧し掛かれば、蛙が潰れたような声も出ますよそりゃ。
 もちろん、一生覚めたくないくらい心地いい夢の世界は、シャボン玉より儚く弾け飛んだ。

 ていうか重い!!!!!



「ぅぐっ‥‥‥‥‥ぐるじ‥‥‥‥‥‥、」
「すげー声出して起きるのなお前」
「何他人事みたいな感想言ってんだあんたのせいだろクソ上司!!!!!」



 そう、原因は他にいるはずがない。
 予想と違ってたら即警察に通報してるところだ。
 いやこの人だから不法侵入してもいいっていうわけじゃないけど。
 いやもう合い鍵渡しちゃってるけど。

 いや、そういう問題じゃなくて!!!!





「恋人に向かって『クソ上司』とはなんだ」





 そう宣うは、月刊エメラルド編集部の俺様横暴編集長であらせられる高野政宗。
 胸を圧迫されてろくに呼吸も身動きも出来ない中、俺は必死になって首をひねり、その人を睨みつけた。
 食べ物の恨みは恐ろしいって言うけど、睡眠の恨みの方が恐ろしいと思う、社会人になった今日この頃。
 思った以上に顔が近くて怯みかけたけど、この怒り晴らさでおくべきか!!!



「あんった、ふざけんなよ‥‥‥‥‥‥
 上司のくせに、やっと周期落ち着いて精も根も尽き果てた部下を労ろうって気持ちがないのか!!!」
「じゃあそっちも、精も根も尽き果てた上司労ってよ。一緒に寝るぞ」
「今日はそれぞれの部屋でって‥‥‥‥‥」
「なに、俺と寝るの嫌なわけ?」
「嫌っていうか‥‥‥‥‥お互い疲れてるし、一人の方が高野さんも寝やすいかなって」
「俺は無理。お前が近くにいないと落ち着かない」
「はあ? ‥‥‥‥‥っておい!!! におい嗅ぐな!!!」
「石鹸のにおいしかしない‥‥‥‥‥」
「いいことだろうが!!!」
「あ、俺も風呂は入ってきたから」
「聞いてねえ!!!」
「だーから、お前のベッドで寝てもいいだろって意味」
「いや、だから‥‥‥‥‥‥っ」



 また恋人になった俺たちの恋愛観、というか行動パターンには決定的な相違性がある。
 それはきっと、十年前の別れ―――――つまり、同じ経験を経てのものなんだろう。


 たとえば遊ばれたと勘違いした俺は、いつか自分が傷つくのを恐れて好きな人にはあんまり寄りつかない。
 そして一定の距離を置くことで“好き”という想いが長持ちし、関係が少しでも続けばいいと思っている。
 いわば細く長くの蕎麦理論。

 一方遊びだと勘違いされた高野さんは、間違っても本気じゃないなんて疑われないように全力で、その瞬間持てる限りの愛情を注ぎ込んでくる。
 後悔したくないから思うままに、ほんの少しでも隙間があったら埋めようとする。
 いわば太く短く? のうどん理論。


 着地点がどこにあるかは知らない。
 俺は不安が導くまま避けるし、高野さんは想いの赴くまま捕まえてくる。
 結局のところ、俺はこの人を信じてないんだ。
 だから逃げる。
 追いかけられて無理矢理にその腕の中に囚われて、ほっとする。
 まだ大丈夫だって、この人は多分俺のことが好きなんだって、息継ぎ程度の安堵を得る。

 高野さんだって、俺の子供じみた駄々には気付いてるはず。
 でも余計なことはなんだかんだ言うくせにそれを指摘することはなく、捕まえて欲しいと願いながら逃走する俺を望み通り確保してくれる。





 狭い狭い檻の中。
 高野さんは獲物の額に、愛おしげに口付ける。





「俺はお前がいなきゃ寝られない。疲れてる時は特に」
「何言って‥‥‥‥‥‥」
「いいだろ? お前は一緒が嫌なわけじゃなくて、俺は一緒じゃなきゃ嫌。なんにしろ俺、もう部屋戻る元気ねーから」





 俺様発言を炸裂させながら、高野さんはやっと俺の上からどいた。
 どうやら本気で寝る体勢に入るらしい。
 ベッドに体を横たえ、壁側でそっぽを向く俺の髪をやさしく梳いてくる。
 時々耳に触れる指が、妙にくすぐったい。



「小野寺、こっち向け」
「知りませんよ」
「腕枕してやるから」
「そんなのしたら明日腕の感覚なくなって大変ですよ?」
「別にいい。今俺がしたいんだから、問題ないだろ?」



 口は横暴で強引なくせに、手つきはまるで子供をあやすみたいで、結局逆らえない。
 促されるまま高野さんの方を向くと、頭の下に腕を通され、そのまま胸に抱き込まれた。


 あ、石鹸のにおい。



「おやすみ、律」



 甘い声に、俺の意識が一気に溶け出す。



「おやすみなさい、高野さん」



 潰し起こされる前に見ていた夢はなんだったっけ?
 もう覚えていないけど、きっと中断された夢より、これから見る夢の方がきっと、あったかいだろうなって思えるんだ。



 枕は少し高くて固いけど、毎夜これでもいいくらい、心地よかった。