What’s This








「ねえねえ小野寺くん、さっきの人って誰!!?」







 お昼を終えて教室に戻って来るなり、俺はクラスの女の子に取り囲まれた。



 俺は内気じゃないけど、社交的ってわけでもない。
 というか本が大好きで、休み時間は友達と話すとかもなく絶対に何かしら読んでる。
 だからあんまりクラスメート、特に女の子とは、交流らしい交流がなくて。

 それがいきなり五人くらいに詰め寄られたもんだから、俺は意味もなく「降参」を示すように両手を挙げていた。
 内心冷や汗だらだら。

 だってみんな目が怖いから!!!






「え、え? な、何?」
「ほら、さっき小野寺くん迎えに来た人っ!! どういう関係!!? 知り合い!!?」
「あー‥‥‥‥」






 俺にはつい最近、お兄ちゃんができた。

 血は繋がってないけど、両親が離婚して、義理の兄弟になったわけだ。
 共通点は本が好きっていうだけで性格なんかも全然違う。
 でも、基本家に俺たちしかいないのもあって、近くにいるのが当たり前になって。
 登下校も買い物も一緒で、お兄ちゃんが作ってくれるお弁当も一緒に食べる。
 いつもは三年生の階で待ち合わせてるんだけど、今日は俺のクラスの授業が長引いて、
 お兄ちゃんがわざわざ二階上のここまで迎えに来てくれた。
 みんなその時お兄ちゃんを見たんだろう。




「え、えっと、俺のお兄ちゃんだけど」
「お兄ちゃん!? 小野寺くん兄弟いたの!?」
「いなかったけど、親が再婚して、それで」
「そうなんだぁ。ねえねえお兄さん何年生?」
「三年‥‥‥‥」
「へえ、いいなーあんなイケメンがお兄さんなんてー」
「背も高いしねぇーー!!」




 な、なんなんだろう。
 褒めそやすなら本人の前ですればいいのに。
 俺が困惑してると、ついに五人衆の一人が目的を口にした。





















「あのさ小野寺くん、お兄さんのメルアドとか、教えてくれない?」





















 ‥‥‥‥‥‥‥あー、そういうことか。



















「えっと、俺携帯持ってないから、お兄ちゃんのも知らないんだ」
「ええー持ってないの? 今時!!?」
「なんだ、残念‥‥‥‥」
「ご、ごめん」







 携帯持ってないのは嘘じゃない。



















 でも、もし持ってたとして、俺はちゃんとこの人達に教えてあげただろうか。























 なんでか、すごくもやもやした。























「どうした、律。何かあったか?」
「えっ、あっううん、何も!!!」
「‥‥‥‥‥‥‥ふーん」








 お前隠し事下手くそだよな、っていうお兄ちゃんの呟きは、とりあえず聞こえなかったことにした。

 いつものように放課後、一時間くらい図書室で過ごしてから、家へ帰る途中。
 俺はなんとなくお兄ちゃんの隣にいられなくて、後ろを歩く。

 改めて見ると、本当に背、高いなぁ。
 髪は俺と違って綺麗な黒。
 少し着崩した制服がよく似合う。





















 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥かっこいい、よなぁ。





















 俺は。









 気がついたら、手を伸ばしていた。























「‥‥‥‥‥‥律?」























 帰り道、俺たちはよく手を繋ぐ。
 でも、毎日じゃない。
 お兄ちゃんがなんとなく俺の手を取って、俺がなんとなく握り返して。
 そのまま家まで。

 俺から繋いだことは、なかったんだけど。











「律」
「‥‥‥‥‥‥」
「手、離せ」
「‥‥‥‥‥やだ」
「繋ぎたいんだろ?」











 ぎゅうっと、お兄ちゃんの学ランの裾を握りしめる俺。
 お兄ちゃんが後ろ手に俺の手をぽんぽんして離そうとするから、更に力を込める。
 そしたら、今度は大きな手に包み込まれた。











「俺も繋ぎたいから。な?」











 くっくと喉で笑いながら、なだめるように言われる。

 ねえ、お兄ちゃん。
 その表情も、声音も、俺だけのものだよね?
 クラスの人と話してる時、昼休みや放課後に俺を待ってる時、お兄ちゃんはいつも会ってすぐの頃みたいな無表情で。
 でも俺が声かけた途端に、必ず穏やかに微笑んでやさしく名前を呼んでくれる。


 俺はたった一人の弟だから。




 お兄ちゃんの特別、だよね?











 何やら得体の知れない、あんまり綺麗じゃない感情に振り回されてぐるぐるする。
 それが口をついて出てきたのは、家に着いてからだった。
 靴を脱ぎ、自然に離れそうになる手を、俺は無意識にまた掴んでた。















「‥‥‥‥‥‥お兄ちゃん」
「ん?」

「お兄ちゃんって、彼女とか、いる?」















 なんでそんなこと聞くのか、自分でもわからないけど。
 それでもなぜか、聞いておきたいと思った。

 自然と目線が下がり、ただ自分の足下を見つめる。
 お兄ちゃんがゆっくりと答えた。







「‥‥‥‥いねーよ」
「‥‥‥‥‥‥いないの?」
「いない。お前に嘘ついたってしょーがないだろ?」
「‥‥‥‥‥‥そっか、」







 ちょっと安心。
 気持ちも少しだけ軽くなる。







「お前は?」
「え、」
「お前は、いねーの?」
「いないよ」
「‥‥‥‥‥ホントか?」
「? うん」
「‥‥‥‥‥そうか」







 どうして俺まで聞かれたのかよくわからないけど、とりあえずすっきりした。
 俺は満足してお兄ちゃんの手を離し、自分も靴を脱いで家に上がる。


 だけど。





















 突然腕を引かれ、肩を押され。

 どんっと壁に背中がぶつかった。



 俺は驚愕して目を瞠り、少し上にあるお兄ちゃんの表情を覗う。





















「お、お兄ちゃ‥‥‥‥‥?」

「じゃあさ、律」















 端正な顔がぼやけてしまいそうなくらい、近い。

 鼻が触れ合いそう。

 息がかかりそう。

 鋭いくらい真っ直ぐな瞳が、俺の全身を貫く。





























「独り者同士、付き合おうか?」





























 冗談、なんかじゃなかった。
 それがわからないほど馬鹿じゃない。
 どういう意図を持って言ってるかまではわからないけど。

 お兄ちゃんは、本気で。



























「‥‥‥‥‥‥‥おもしれー顔」



























 ぎゅむ。


 ほっぺをつねられる。
 切れ長の目が、すっと細くなる。











「手、洗ってこい。コーヒーでも淹れてやるから」











 そう言って、お兄ちゃんは俺から離れ、リビングへ消える。



 一人になった俺は、へたりと、その場に座り込んだ。

 心臓の音が耳障りで、何がなんだか全然理解できなくて。







 ただ、俺の意思に関係なくみるみる火照ってくるほっぺを、微かに震える両手で包んだ。















 壁の向こう、耳まで赤くしたお兄ちゃんも片手で顔を覆っていたことを、俺は知らない。