焼き芋との外




『い〜しやぁ〜〜きいもぉ〜〜〜や〜きいもぉ〜〜〜〜』


 あの声に憧れたのはいつからだっただろう。
 俺はあったかい部屋に閉じこもりながらぼんやり考える。
 ていうかよく聞こえるよな。ここ12階だし窓も閉まってるのに。
 よっぽど近くを通ってるんだろうか。

 もう十年以上は片思いしてる。あの焼き芋に。







 ピンポーン







「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」







 ピポピポピポピポピポピポピポピポーーン

 ピルルル ピルルル ピルルル


















「なんですか!!!」


















 俺は半分キレながらドアを開け放つ。
 その向こうに立ってたのは、予想通りというかなんというか‥‥‥‥。

「入れろ」
「嫌です。帰る家間違ってますよ」
「食うだろ、これ」

 差し出された、ふたつの物体。
 なんだかわからないまま強引にそれを持たされた俺は、じわじわと迫ってくる感覚に飛び上がりそうになった。

「あっっつ!!!」
「とにかく入れろ。寒い」

 入れろ、っていうのは分類的には一応お願いに入りそうなのに、その人は強引に中に入ってくる。
 あ。
 鼻とほっぺ、赤い。

「うー、あったけぇ」

 横暴編集長は部下とはいえ一応他人の家なのに、我が物顔でどっかりと床に腰を下ろしながら、コートを脱ぐ。
 でも相変わらず汚ねぇな、という普段なら絶対何かしら言い返す呟きは、今の俺の耳には入らなかった。
 大急ぎで高野さんの前の机にそれを放り出し、不自然に熱くなった腕を擦る。

「悪いけど、なんか飲み物くれない? いるだろ」
「ああ、はいはい。コーヒーじゃなくて玄米茶とかにします? ティーパックですけど」
「じゃあそれで」

 ふたつのカップにお茶を入れて戻ると、高野さんが「あっちぃ」とか言いながら二つの焼き芋を半分に割っていた。
 ちなみにこのカップは高野さん用と俺用とかじゃないから。
 どっちも俺のだから。
 デザイン気に入って、気分で変えようと思って買っただけだから。
 いやマジで。

「どうぞ‥‥‥」
「どーも」
「ていうか、急にどうしたんですか。焼き芋なんて」
「食べたかったんだろ?」







 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥この人本気で嫌だ!!!!







「な、なんでですか? 俺そんなこと一言も」
「だって仕事中も、焼き芋の声聞こえたら、聞こえなくなるまでそわそわきょろきょろして挙動不審じゃねーか」
「そ、そんなことな 「あるから」

 ああもう、なんで。
 なんでこの人は。
 俺が精一杯の虚勢で造り出した壁の、小さな罅を見つけ出すのが上手いんだ。

「よ、よく見てらっしゃるんですね! 部下の観察なんかする暇あったら仕事に集中してくださいよ!!」
「好きなヤツが近くにいたら仕事中だろうが気になるだろ、普通」

 アンタ何しに来たんですか? 俺を口説きに来たんですか?
 赤くなるな、赤くなっちゃ駄目だ、反応するな!! と心の中で呪文のように言い聞かせたところで意味はない。
 顔から湯気が出そうなのが自分でもわかる。
 指摘されたくなくて慌てて俯いたけど、多分高野さんには全部ばれてるだろう。

「‥‥‥‥ほら。冷めないうちに食べるぞ」

 笑みを含んだ、やさしい声。
 勘弁して欲しい。
 好きだって言っても言わなくても、この状況が続くんだと思うと、正直泣きそうになってくる。
 こんな完敗が決まりきってる負け戦、生まれて初めてだ。
 ああ、でも。

「‥‥‥‥‥‥これって、皮食べられるんですか?」
「焦げてるから難しいんじゃね?」

 ふぅふぅ、はふはふ言いながら、二人で焼き芋にかじりつく。
 なんか変な図だろうな、傍から見れば。

「んっ!! おいしー!!」
「ホントだ。甘いな」
「はい。中も黄色っていうかオレンジだし‥‥‥どこの芋なんですかね」

 人間、おいしいものを食べている時は幸せだ。
 たとえ一緒に食べている相手が俺様上司で隣人で初恋の相手で嫌な別れ方をした元恋人だとしても、それは変わらない。
 俺に向けられてるやわらかい視線は、‥‥‥‥‥‥とりあえず無視しておこう。うん。

「そんな食べたかったのか?」
「あ、‥‥‥‥えーと、はい。俺小学生とか中学生の頃から、ずーっと食べてみたかったんですよ。
 でも親に駄目って言われて、大人になってからもチャンスがなくて」
「ふーん」
「だからやっと成就したって感じです。‥‥‥わざわざ買ってきてくれて、ありがとうございました」

 よし、これでいい。
 お礼も言ったし、これで食べ終わったら心置きなく追い出せる。

 そう思いながら、いつまでも熱を持って湯気を立てる焼き芋を食べていると。
 お茶を飲んでた高野さんが、急に身を乗り出してきた。
 こっちが行動を起こす前に、耳許に唇を寄せて。























「じゃあ、俺たちの恋は?」























 いつ成就させるの、と。














 声が空気越しでなく、直接鼓膜を揺らして、甘ったるい痺れが全身に響く。



 金縛りにあったみたいに体が動かなくなる。
 けど、このままじゃまずい。
 俺は必死に高野さんを押しのけようとしながら、後ずさろうとする。

「そ、そんなの知りませんっ、離れてください!!」
「なんで? お前が好きって言えば済む話だろ」
「言うわけないでしょ!!」

 無理に決まってる。
 この短時間で既に三回くらい「もう無理」と思ってるのに、万が一好きだなんて言ってしまったら、
 傍にいるお墨付きを与えるようなものだ。
 そんなことになったら身が保たない。心臓とか確実に保たない。
 だから絶対言わない。
 いやっそもそも好きじゃないけどね!!!

「ていうかとりあえずどいてくださいよ!!」
「焼き芋熱くて食えない。俺猫舌なんだよ」
「嘘つけさっきまでばくばく食ってたくせに!!」
「うるせえな。冷めるまで構えよ」
「知りませんっってちょ、ぅわっ‥‥‥‥‥たかのさ、んん!!」







 成就なんかさせてたまるか。
 虚勢だとしても、俺はあんたを拒み続けてみせる。
 あんただっていつかは諦めるんだろ?
 俺みたいなひねくれ者じゃない、自分に合った素敵な人のところへ行くんだろ?
 さあ、早くどこへでも行ってくれ。







 俺の伸ばしている手が、罅だらけの厚い壁のお陰で、あんたに見えていないうちに。